書籍『日本人と裁判 −歴史の中の庶民と司法』(その5) 筆者:H・O
2013年6月10日
その1その2その3その4からの続き>

 本書は、様々な人物や事件を通じて、近代的司法制度が確立された明治期の司法の実際とあり様を紹介しています。
 福澤諭吉は訴訟というものに過大な期待を寄せるべきではないと考えつつも、刑事司法における陪審制度の意義は高く評価していたようです。福澤は慶應義塾にアメリカ人の法律教授を雇い、法曹の育成にもあたりました。
 鉱毒による公害事件=足尾銅山事件で被害者住民の救済に奔走した田中正造は、その司法における救済の活動はしませんでした。そこには当時の国民の司法への期待の薄さなども反映していたようです。
 1891年、警察官がロシア皇太子を斬りつけた事件がありました。大津事件です。政府はその被告人を死刑にすべきと大審院に干渉しましたが、児島惟謙大審院長は罪刑法定主義の原則などをふまえ、政府の要求を受け入れませんでした。児島惟謙氏の対応については多面的な分析・評価が必要でしょうが、司法権の独立を守った姿勢は評価されるといえるでしょう。

<つづく>
 
【書籍情報】
2010年、法律文化社から刊行。著者は川嶋四郎・同志社大学教授。定価は本体2,500円+税。