【村井敏邦の刑事事件・裁判考(73)】
市民と刑事施設(1)
 
2018年1月31日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)

画期的な判決
 ピースボートに乗って日本へ帰る航海の途上、あるうれしい知らせが入りました。私が意見書を書いた事件で、ほぼ全面的に私の意見書を採用した判決が出たのです。それは、昨年の10月の岐阜刑務所事件についての名古屋高等裁判所の控訴審判決です。私はこの判決を刑事施設に収容されている受刑者に対する一般人の面会権を認めた判決と位置付けます。

事件の概要と争点
 事件は、岐阜刑務所に収容されている受刑者にAさんらが面会を申し込み、また、手紙を送りました。これに対して、刑務所側が面会を拒否し、Aさんらの手紙を受刑者に渡すことを拒否したことから、Aさんらが国家賠償請求を裁判所に求めたことに発します。
 2005年(平成17年)5月25日に改正された旧監獄法では、受刑者の接見、手紙等の信書の発受の相手方は原則として親族に限定されていましたが(旧監獄法45条2項、46条2項)、新たに制定された受刑者処遇法及び刑事収容施設法では、受刑者の面会および信書の発受をより広く認めるように改められました。そこで、Aさんらは、面会を拒否し、信書の受け取りを拒否した刑務所側の措置が受刑者処遇法および刑事収容施設法に反し、憲法に違反するとして訴訟を起こしました。
 これに対して、国側は、(ア)刑事収容施設法111条2項は,「交友関係の維持その他面会することを必要とする事情」があり,かつ,「面会により,刑事施設の規律及び秩序を害する結果を生じ,又は受刑者の矯正処遇の適切な実施に支障を生ずるおそれがないと認めるとき」にこれを「許すことができる。」と定めていること。
(イ)「交友関係の維持その他面会することを必要とする事情」については,受刑者は制裁として面会の自由が制限されるが,それにもかかわらず,面会を許すのであるから,社会通念上,積極的に面会を許すべき事情でなければならず,「交友関係の維持」とは,継続的な交際の事実があり,かつ,その関係が好ましいものに限られること。
(ウ)「面会により,刑事施設の規律及び秩序を害する結果を生じ,又は受刑者の矯正処遇の適切な実施に支障を生ずるおそれがないと認めるとき」とは,具体的なおそれが認められることは要さず,単に論理的・抽象的な可能性があるだけでは足りないが,一応の根拠がある限り,上記おそれがあると認められること。
(エ)このようにして、「刑事収容施設法111条2項は,裁量面会の許否判断を刑事施設の長の裁量判断に委ねており,刑事施設の長は,刑事施設の規律及び秩序を害する結果などを生ずるおそれがないことに加え,面会の目的などから,信書の発受だけでなく面会を許すことが一般的・客観的に強く要請される事情があるか否かを評価・判断して,面会を許すことが相当であると認めるときに,これを許すこととなる。」という4点をあげた上で、本件で請求されている面会には、「交友関係の維持その他面会を必要とする事情」があるとは認められないか、面会を認めると「矯正処遇の適切な実施に支障を生ずるおそれ」があるから、面会を拒否した施設側の処置は刑事施設の長に認められている裁量権を逸脱しているものではなく、適法であると主張しました。あわせて、平成20年4月15日に最高裁判所が出した、旧監獄法の規定は受刑者との面会を希望した者の権利を認めたものではないという判決が、新法下の同様の事案にも適用されるという主張もしました。
 このような主張に対して、代理人の山下幸夫弁護士から意見書の執筆を依頼され、岐阜地方裁判所に対して、次のような趣旨の意見書を書いて提出しました。

論点の設定
 意見書では、論じるべき点を二つに絞っています。第1点は、2008(平成20)年4月15日の最高裁判所判決は、2005年改正の後の事案にも当てはまるかであり、第2点は、刑事施設の被収容者との面会・信書の発受を希望する者にも、面会・信書の発受について固有の利益が認められるかです。
 第1点については、(1)旧監獄法から刑事施設処遇法への転換の意義、(2)平成20年判例の射程距離、(3)現行法111条における面会者、126条における信書の発受者の利益の性格が問題になります。

監獄法改正の理念
 旧監獄法から現行刑事施設処遇法への転換については、『行刑改革会議提言〜国民に理解され,支えられる刑務所へ〜』の中で、「国民に理解され,支えられる刑務所」を作ることが改革の基本的な方向であるとされています。そして、これこそが、現行法の理念です。具体的にいえば、旧監獄法下の特別権力関係に律せられた刑事施設から被収容者も一人の人間として尊重されるべき権利・義務の主体であるという理念への転換です。
 行刑改革会議は、上記の理念に従って、三つの方向が示されていました。第一、「受刑者の人間性を尊重し、真の改善更生及び社会復帰を図るための、いわば受刑者のための諸改革」、第二「刑務官の過重な負担を軽減し、健全な執務環境を確保するための、いわば刑務官のための諸改革」、第三、「市民が刑務所を訪れ、刑務所運営に「参加」する仕組みや、受刑者の不服などが外部の第三者の耳に届く仕組みなど、いわば「刑務所の塀」を低くし、刑務所を国民に開かれた存在にするための画期的なもの」です。
 この第三の方向は、「国民のための改革」方向です。この方向を前提とする限り、現行法の基礎には、受刑者の改革のみならず、国民のための改革もあることになります。国民の利益は、受刑者の権利の反射的利益としてではなく、固有の利益として、現行法の基礎にされているのです。
 この提言を基礎にして、現行法が制定されている以上、上記の理念の転換を念頭に置いて、条文の解釈を行うのが当然です。条文の文言に大きな違いがなくとも、その背後にある思想が違う以上、旧監獄法下で出された判断は、そのままでは現行法の解釈の基礎にはなりえないのです。すなわち、旧監獄法の「45条 在監者に接見せんことを請ふ者あるときは之を許す、2 受刑者及び監置に処せられたる者には其親族に非さる者と接見を為さしむることを得す但特に必要ありと認むる場合は此限に在らす」という規定について、この規定は、受刑者を名宛人にしているものであって、受刑者との面会を求める者の面会の利益を保障したものではないとの2008年4月15日第3小法廷判決の判断は、改正後の現行法111条の解釈の指針とはなりえないと結論付けたのです。

受刑者以外の者の受刑者との面会の固有の利益
 第2点は、受刑者との面会・信書の発受を希望する者に固有の利益が認められるかです。
 すでに述べたように、現行法の制定の理念において、受刑者の利益、刑務官の利益、国民の利益という三つの方向が踏まえられています。意見書では、特に、第三の国民の視点に注目しています。そして、この第三の視点から、「一般的に刑事施設の中で、被収容者がどのような生活をしているかについて関心を持ち、そのような人が刑事施設を訪ね、視察することを保障するものであり、そのための制度として、刑事施設視察委員会の制度が設けられた」としています。
 しかし、国民の視点は、それのみならず、「個々の被収容者とのコミュニケーションをも保障する内容を含んでいると考えるべきである。」ともして、この点を(1)公的情報へのアクセス権、(2)司法、行政、立法の情報へのアクセス権およびその公開要求権、そして、(3)刑事施設へのアクセス権として論じました。
 第1の公的情報へのアクセス権では、「憲法13条の幸福追求権を基礎として、さらに、21条の表現の自由を媒介として、市民には、公的情報にアクセスする権利が保障される。この公的情報へのアクセス権の前提として、公的機関へのアクセス権が市民的権利として保障される必要がある」としました。公的情報へのアクセス権を肯定することによって、市民は、公的機関に対して保管されている公的情報の公開を要求することができるのです。重要な点は、「この公的情報の中には、公文書等の文字化された情報だけではなく、公的施設に関する情報も入ると考えるべきである」ということです。そこから、「公的施設に関する情報を公開することは、その公的施設の公開ということになる。その意味において、市民は、その施設内の人々のプライバシーを侵害しない限り、公的施設に出入りする自由があるというべきである」としました。
 この公的情報へのアクセス権の具体的適用として、次に、(2)司法、行政、立法の情報へのアクセス権およびその公開要求権があります。
 これをさらに具体化するのが、第3の刑事施設へのアクセス権です。
 かつては、「行刑の密行性」が強調されました。しかし、この点は、すでに指摘したように、現行刑事施設処遇法への、いわば価値転換によって克服され、行刑の世界にも透明性が要求されるようになったのです。刑事施設視察委員会の設置はその具体的あらわれであり、その要請は、行刑実務のあらゆる点において及ぶことになりました。
 「透明性」要請は、刑事施設内における施設側と被収容者との関係に留まらないことはもちろんです。被収容者以外の市民と施設との間の透明性が重要なこととして認識されるようになったのです。
 行刑は「強制」的契機を持つことにおいて、一般の行政とは異なる特殊性があるとして、「透明性」要請に対して抵抗する見解があります。しかし、刑罰の執行現場として、一定の強制的要素があることを否定しえないとしても、それによって、その執行を秘密にすることを正当化するものではありません。むしろ、強制的契機があることこそ、それが公正に行われていることについて、主権者としての国民は多大の関心を抱くところです。公正な執行に対する国民の関心は、国民一般の持つ行刑に対する利益の一つです。
 このような一般的利益だけではありません。施設内における個々の被収容者に対する刑の執行、処遇が公正に行われているかについて、被収容者と関係性の強い、家族や友人・知人は関心を持ち、被収容者との接触を求めます。さらに、その関係性の維持については、被収容者だけではなく、被収容者の施設内の生活に関心をもつ者、とくに、家族、友人、知人は、被収容者との関係性の維持についての利益をもっている。それ以外の者にとっても、被収容者との関係性を創設・維持する利益があります。すでに述べたように、被収容者にかかわる情報に接する利益は、すべての人にあるのです。個々の被収容者からの情報を得るためには、その被収容者との関係性を創設することができなければならない。その意味で、すでに関係性の確立されている家族や友人・知人に限らず、そのほかの人についても、被収容者との関係性を創設し、それを維持発展させることが保障される必要があります。
 この関係性を維持・保障するのは、コミュニケーションという手段です。コミュニケーションこそ、刑事施設内と外とを結ぶ手段です。被収容者にとっての外部とのコミュニケーションは、被収容者の権利として刑事施設処遇法が保障するところです。
 人はだれとも、どこにあっても、他人とコミュニケートする権利を妨げられないはずです。人とコミュニケートする権利は、人としての基本的な、本然的権利であり、憲法13条の保障する個人の尊厳、幸福追求権の本質的部分です。この権利は、相手が刑事施設内で拘禁されていようとも、保障されなければならないことです。これが具体的には、憲法21条の表現の自由という形で、面会権となり、信書の発受の自由となっています。また、憲法22条の移動の自由によって、拘禁されている者との面会に当たっては、拘禁されている場所まで移動する自由が保障されているのです。
 一般の人とのコミュニケーションは、双方が自由に場所の設定ができるが、刑事施設内の被収容者とのコミュニケーションは、それを求める者が被収容者が収容されている施設に赴かなければなりません。この点が、刑事施設内の被収容者とのコミュニケーションにおける第一の特色であり、刑事施設まで出向く自由の保障にも配慮を要する理由です。また、被収容者にとって、一時に何人もの人と面会することはできないので、自ずから1日に面会する人数や時間が制限されざるを得ません。さらに、被収容者と面会を求める者との関係性の程度によって面会の機会の保障が異なるのは、やむを得ないことでしょう。関係性の程度が高いほど面会の機会の保障は手厚くなるでしょう。家族や友人・知人は最優先となるのは当然のことになります。ただし、すでに述べたように、それ以外の人にも関係性の創設を求める権利があるのですから、家族・友人以外の人もコミュニケーションの機会を奪われないのです。
 このように論じて、意見書は、受刑者との面会・信書の発受を求める者の権利を固有のものと結論し、これを否定する国側の論理を批判しました。

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。