【村井敏邦の刑事事件・裁判考(54)】
尼崎の連続変死事件(その2)
 
2016年1月21日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)

『尼崎事件 支配・服従の心理分析』

 尼崎の連続変死事件については、このシリーズの2015年9月14日号で取り上げました。そこでは、事件の概要を紹介し、似たような事件である北九州・連続監禁殺人事件に触れました。その際、被殴打女性症候群というPTSDの一種として考えられる精神状態が問題になったということを述べました。また、尼崎連続変死事件の裁判でも、この事件が参考にされていることにも触れました。
 昨年末には、この事件について注目される書物が刊行されました。それは、村山満明・大倉得史の両氏による編著『尼崎事件 支配・服従の心理分析』(2015年・現代人文社)です。編著者の村山・大倉両氏は、同年3月19日に判決のあった事件で、情状鑑定を行ない、その結果をこの書物にして公刊したのです。
 両氏が弁護人から鑑定を依頼されたのは、尼崎事件の中心人物で自殺したX女の義理の従弟に当たるO(編著書では「岡島泰夫」)の「犯行時の心理状態(特に、被告人が本件各犯行までに故X女を含む本件各共犯者から受けていた影響についての心理学的分析)」でした。Oは自分の妻の殺害を含めて、4件の殺人・逮捕監禁等の事件で起訴されています。
 鑑定は、心理学者5人と情報科学研究者1人の計6名のチームで行われました。
 刑事事件の鑑定の多くは精神鑑定で、被告人の犯行時の精神状態を鑑定することによって、犯行について責任を問うことができるだけの責任能力があるか、どの程度あるかを判断します。これに対して、この事件で行われたのは、心理鑑定です。責任能力という責任の有無にかかわるのではなく、量刑判断のための情状に関する鑑定です。
 裁判官は、心理的な問題については、自分たちで判断できるという意識を持つ人が多いため、情状鑑定が認められるケースは少なかったのですが、裁判員裁判になり、情状鑑定が多くなりました。心理学的な知見も法律家の専門に属するものではないので、情状鑑定が多くなるという傾向は結構なことだと思われます。
 この事件の鑑定人で特色があるのは、心理学者のほかに、情報科学研究者が入っていることです。これは、コンピュータによる供述分析を行って、被告人の心理的変化を明らかにするためです。ここで用いられているのが、「テキスト・マイニング」という手法です。

テキスト・マイニングという手法

 テキスト・マイニングとは、「コンピュータを利用することで、大量の文字データ(テキストデータ)の中から重要な情報を見出す手法である」と説明されています。私たちは、文章を読んで、その文章の意味を理解します。これをコンピュータでやろうというのです。人間が文章の意味を理解しようとすると、当然、主観が入ります。そのため、信頼性が低くなると考えられます。コンピュータでこれを分析すると、より客観的な解釈ができるというわけです。
 この手法を用いた分析の結果、「事件当時の被告人の状況は、何人にとっても逃げることが困難であり、絶望的なものであったと考えることが妥当であろう」と鑑定人は述べています。

無力化、断絶化、ロボット化の過程

 鑑定書の結論では、鑑定人たちは、被告人がX女の権威・権力に服し、さらに暴力・脅迫・虐待によって、X女に対等に抗う意欲を失い、X女にこびへつらう心理状態「無力化」に陥り、さらに、家族や友人等との人間関係を遮断されるという「断絶化」が加わり、X女に命じられたことをロボットのように実行するしかない心理状態「ロボット化」によって、本件犯行を行ったとしています。これらの過程を「状況の力」と「服従の心理」という形で、一般化もされています。
 このような鑑定結果を受けて、弁護人は懲役7年が相当であるという意見を述べました。検察官の求刑は懲役20年です。

2015年3月19日判決

 判決は、2015年3月19日に行われました。判決は、懲役15年でした。
 量刑事情として、次のような指摘が行われています。
 まず、「量刑判断は,殺人罪が2件の事案であることを基礎とすべきである。そして,各殺人とも,期間の長短はあるものの,監禁等により行動の自由を奪った上、過酷な虐待を加え続けることにより,殊更,被害者に苦痛を与え,人格を踏みにじった末に被害者を殺害した事案である。犯行目的は,いずれもB家という生活共同体で君臨していたBの意向に背いたことに対する私的制裁であり,同人の支配欲と勝手気ままな感情に基づく虐待そのものとさえいえるのであって,いかなる事情に基づくものであれ正当化されるものではな」い。そこで、「犯行全体についての違法性の程度は、これまでの量刑傾向を考慮すると、無期懲役を下回ることはないというべきである。」
 次に、各犯行に対する被告人の寄与の程度については、裁判所は、柱となる2件の殺人事案のうちの一つに対しては、「被告人が果たした主な役割は,平成20年9月下旬頃からX女の家の一員としてKの居室で生活し続けたというにとどまり,寄与は小さく,被告人のX女の家における立場からすれば従属的である。また,Iに対する監禁においても,被告人の役割は同様に小さく,従属的である。」
 これに対して、もう一つの殺人については、「被告人は,X女からその方法を具体的に指示されていたことなどから,同人との関係ではやはり従属的な立場にあったといえるが,緊縛行為等の重要な実行行為を行っており,その寄与の程度は比較的大きい。また,死体遺棄においては,被告人は実行行為のかなりの部分を担当している。」としました。
 結論として、「被告人の本件犯行全体に対する寄与の程度からすると,本件犯行全体のかなり高い違法性に相応する責任を,そのまま被告人に負わせるべきではなく,被告人に負わせるべき責任の上限は,有期懲役の刑期にして20年から23年と見るのが相当である。」としています。
 その上で、責任を軽減すべき事情について言及しています。
 「まず,平成20年7月頃から同年9月頃までの間,被告人自身も,妻Aと同様に物置内に監禁されて過酷な虐待を受けており,その間はもとより,その後しばらくは,X女に逆らえば再び監禁や虐待を受けるかも知れないという緊張感の中に置かれていた上,逃げ出しても親族や友人の下にX女らが押しかけて迷惑を掛けることが予想されたことから,X女の意向に従わざるを得なかったという事情がある。被告人は,そのような事情の下で,X女に服従するX家の一員としてKの居室で生活するなどの消極的な態様で,AやIに対する犯行に加担したにとどまるから,その意思決定に対する非難の程度はかなり軽減されるというべきである。」として、減軽事情としてかなり重視しています。
 しかし、もう一つのJに対する犯行については、「依然としてX女の下から逃げ出せば親族や友人に迷惑を掛けることが予想される中で,X女に服従するX家の最下層の者として汚れ役を押しつけられていたという事情がある」と認めながら、「被告人は,Aらが死に追いやられるのを目の当たりにしたのに,その後もKにとどまり,逃亡する機会は十分あったにもかかわらず,Xの下から逃げ出そうとしていない。また,被告人は,万引きをして逮捕,勾留され,裁判を受けた際にも,Xらによる暗黙裏の圧力はあったにせよ,Aらのことを警察官などに打ち明けていない。JがXの怒りを買って逮捕監禁されることになった時も,被告人はそれを当然のことと受け止めてJを緊縛し,その際には,Jを大人しくさせるために暴力を振るっている。このような被告人の態度からすると,Jに対する犯行時の被告人は,X家の一員としての自覚に基づき,自らの判断で行動していた面もあったといえる。そうすると,Jに対する犯行に関しても,依然としてXの影響下にあったこと自体は否定できないという点で,その意思決定に対する非難を軽減すべき部分がないわけではないが,その程度はかなり小さいといわざるを得ない。」としました。
 このようにして、裁判所は、被告人がAに対する犯行の時には、X女の影響を強く受け、それに反することができないような心理状態にあったことを認めながら、Jに対する犯行時には、それが相当程度に薄れていたとして、責任減軽事由としては低いと判断しました。

尼崎事件の審理で浮かび上がったこと

 昨年末にあったX女の義理のいとこの判決では、裁判所は、X女の影響があったことを認めたものの、その程度はかなり低いとして、求刑通り無期懲役を言い渡しています。また、本年2月に判決が予定されている義理の娘の公判では、鑑定人が被告人はマインドコントロールの状態にあったと述べました。
 このように、尼崎事件は、主犯格のX女の影響をどのように捉えるかによって、量刑が大きく変わる事件です。この事件を通じて、偽装家族内での犯行など、一定の組織内での心理的影響に関する理論をどう立てるかが、今後の課題として浮かび上がりました。

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。