【村井敏邦の刑事事件・裁判考(41)】
カジノの合法化の動きについて(2)ネヴァダ州を例にして
 
2014年11月17日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)
 前回は、最近のカジノの合法化の動きについて、その法律的な問題点を概観しました。今回は、カジノの合法化は何をもたらすかを、アメリカ・ネヴァダ州を例にとって考えてみます。

スコールニック『カードの家(House of Cards)』

 私は、1980年と85年、アメリカのカリフォルニア大学バークリー校の客員研究員として研究しました。85年は、JSPという法社会学研究所に研究室を持っていました。この研究所には、セルズニック教授やメッシンジャー教授などの法社会学、法哲学で世界的に有名な学者が所属していました。その一人にジェローム・スコールニック(Jerome Skolnick)教授がいて、私のホスト教授は、この人でした。
 私が、スコールニック教授について最初に知ったのは、警察官の生態を実証的に研究した『警察官の意識と行動―民主社会における法執行の実態』(1971年・斎藤欣子訳)の書評を頼まれた時からです。原題は“Justice Without Trial: Law Enforcement in Democratic Society (Classics of Law & Society)” です。
 この研究で、スコールニック教授は、いわゆる参与的観察方法を採用して、実際に警察官の活動に参加して、警察官の職務執行における意識と行動を研究しています。日本の宮澤節生氏や村山真維氏の警察研究は、このスコールニック教授の研究に大きな影響を受けています。
 賭博の研究もラスベガスにあるネバダ大学に、「警察とメディア」という演目で講演を頼まれたことに、端を発しているようです。講演が終わった後、聴衆の一人であった警察署長の招待に応じて、カジノの保安担当警察官の巡回に教授は参加したのが、第一のきっかけだということです。
 その後、ラスベガスの「ゲーム規制委員会(Gaming Control Board)」を拠点として、カジノのフィールドワークをした成果が、『カードの家』という1978年に出版された著書です。したがって、このカジノ研究も、警察研究の延長にあるといってよいでしょう。

賭博を含む「社会的に悪い行為(vice)」の合法化が生む矛盾

 賭博などの行為は、日本だけではなく、アメリカでも「悪い行為」として禁止されていました。これの合法化は、アメリカでは、ネヴァダ州が最初で、1931年にラスヴェガスで賭博遊戯の場所としてカジノが作られました。このようなそれまでは悪い行為とされていたものを合法化することは、当然ながら、問題とされる行為に対する、それまでの道徳的で、厳格な態度を緩めることになります。そこには、思想的には、自由主義があるということになります。その逆に、保守主義者は、その合法化に反対するというのが、スコールニックの基本的な見方です。
 しかし、そこには、矛盾も見られるというのです。それは、それまで禁止されていた行為を自由にするということの反面には、行政的な規制を厳格にするということがあります。そうなると、違法時代には、その行為は、コントロールされないで、ある意味自由に行われていた行為が、合法化されることによって、自由が奪われるという結果になります。これは、「賭博を自由に」という自由主義者の主張に矛盾します。
 他方、保守主義者は、賭博を違法な行為として禁止するか、もしそれが不可能ならば、厳格に規制すると主張します。しかし、行為をいったん合法化すれば、それに従事する者たちは、自分の活動は正当な事業だとみなし、その活動に対する国や自治体の動きに抵抗するか、少なくとも規制をできるだけ厳格でないものにしようと働きかける。合法化したのだから、活動は社会に害を与えるものではないはずだ、だから厳格な規制の下におくというのは、おかしいという主張するのです。ネヴァダ州では、現実に、それが最大のディレンマを生み出しました。
 その結果、監督官庁は、この活動の危険性を指摘しなければならなくなりました。この活動は、組織犯罪に染まる可能性があるというのです。
 しかし、合法化とこの危険性の指摘とは、はたして相容れあうことでしょうか。スコールニック教授は、3年間のネヴァダ州での研究の間も、その後もなお、この点のディレンマには悩まされていると書いています。

経済的な危機状況の解決の方策としてのカジノ合法化とその根本的ディレンマ

 ネヴァダ州のカジノ合法化の最大の背景は、財政的な危機状況を解決しようということです。日本でも、カジノ合法化が自治体によって推進される背景には、同様のことがあるようです。
 しかし、このような経済的理由によるカジノ合法化には、大きな問題が伴います。カジノ開設には、多くの賭博産業が参入することになります。参入企業は、その利益を拡張するために、企業の規模を大きくしようとします。このことが、根本的なディレンマを引き起こします。

「合法的なカジノ賭博産業の根本的なディレンマは、経済拡張主義者の要請と企業の正統性を受け入れない外側の社会との折り合いをつけることである。」

ネヴァダ州は、このディレンマを解決する、少なくとも二つの戦術を採用しました。

 「一つは、この産業への参入を制限し、業務を指導することを許可された者の活動を調査するコントロール・システムである。もう一つは、あるいは、その活動がすべての人にとって経済的利益を生じさせるというコンセンサスと信念を作り出すことによって、あるいは、様々な方法で、カジノ賭博が社会的に受容可能な活動であることを確認することによって、州内のカジノ賭博を正当化することである。」(p.333)

 しかし、コントロールシステムが有効に機能するかについては、すでに述べたような、カジノ産業に従事する者たちからの規制緩和要求があります。また、経済的利益がもたらされるとしても、それはすべての人に享受されることではありませんし、それによって、「悪」が「善」に変わるわけではありません。

カジノと汚職の関係

スコールニック教授は、カジノと汚職との関係も分析しています。
教授は、カジノを巡って、以下の3種類の汚職・腐敗が問題になるとします。
第1が、直接的な汚職です。これは、公務員の買収という最も一般的な汚職の形態です。
第2は、間接的な汚職です。一企業が経済を支配するときに生じる汚職です。
第3は、詐欺的な活動に特に染まりやすい賭博産業の文化的、歴史的、経験的特性による汚職です。第3番目のものは、賭博産業に特徴的であるとともに、カジノを合法化するか否かを検討するときに、最も注意しなければならない点であると考えられます。

カジノを合法化した場合に予想される事態

 最後に、スコールニック教授は、これからカジノを合法化しようとする州に対して、合法化によって予想される事態を3点にわたって指摘しています。

1 「カジノ賭博は、より大きなグループ、とくに労働者の間で今より普通の活動になるだろう。」要するに、賭博が日常生活に入ってくるということでしょう。
2 「カジノの過剰供給が生じ、そのすべてで経済的な損失を発生させるだろう。弱小企業は、犯罪的要素の侵入を特に受けやすくなるだろう。」カジノ産業への参入者が多くなり、過剰となれば、当然ながら、各企業の収益は少なくなります。経済的な底辺の企業は、横領や収支決算のごまかしなどの違法な手段をとる危険性が高まります。
3 「この産業では、立法、司法、行政当局に対する汚職への圧力が、とくに高く、かつ可能である。汚職は、あからさまな形をとり得る。たとえば、公務員の子や孫の結婚式の支払いをするとか、公務員に対して、より上のポストへの道を用意するとかという形がとられる。」

 以上のことは、ネヴァダ州で現実にあったことに基づいて、教授が指摘しているところです。
 日本のカジノ合法化論についても、以上のような観点を入れてその是非を考える必要があるでしょう。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。