結論ありきの裁判ではないか! ― 日本国籍確認訴訟  
2013年2月25日
日本国籍確認訴訟報告&新たな国賠訴訟支援集会
 日本の司法・裁判の現状を検証することになると考え、日本国籍確認訴訟報告&新たな国賠訴訟支援集会に参加してきました。
 日本は第二次世界大戦で敗れ、それまで併合していた朝鮮は独立することになりました。戦前の朝鮮人は強制的に日本人にされていましたが、戦後日本政府は1952年になって、その人たちは日本人ではないという措置をとることになりました。当時日本で生活していた朝鮮人にはいろいろな境遇の人がいて、その人たちも結婚したり、その子どもも生まれていました。
 1950年に生まれたキムさんは日本国籍を取得していたのですが、1952年、当時の法務府民事局長通達によって日本国籍を奪われてしまいました。キムさんの親が朝鮮出身だったからです。この通達は、サンフランシスコ平和条約の発効に伴い、朝鮮人及び台湾人が日本国籍を喪失したとするものでしたが、実はサンフランシスコ平和条約は国籍の問題は何ら規定していません。そこでキムさんは日本国籍の確認を求めて裁判を提起したのです。ところが裁判所はキムさんの主張を認めませんでした。(H・O)

<次回に続く>