法教育に必要なのは実践者の意識と認識  
2010年4月26日
西村吉世江さん(現代人文社編集者)
  法教育は、ただ単に法律の内容や法制度について教えればよいというものではありません。社会で生きていくなかで、実際に起こる問題について、利益や負担をどう分配するか、どのような手続で解決を図ればよいか、それらを規定するルールはどのようなものであるべきか、といった考え方を子どもたちに身につけさせることも目的としています。
2001年6月12日、司法制度改革審議会がその意見書「司法制度改革審議会意見書“21世紀の日本を支える司法制度”」の中で「司法教育の充実」を提言してから、2003年7月には法務省内に法教育研究会が設置され、2005年5月には法教育推進協議会へと発展し、そこで議論された内容が具体的に学習指導要領に盛り込まれるようになり、今や学校で法教育を実践する環境はほぼ整ったといえます。
しかし、いくらハードができ上がったとしても、そこによいソフトが投入されなければ、実際には目的を果たすことはできません。ソフトとは、すなわち教師です。法教育を実践する教師自身が、法教育の意味を理解し、法的思考や一定の知識を身につけていなければ、子どもたちにそれを伝えることはできないでしょう。
したがって、法教育においては、教える側の教師の資質がとても重要になってくるはずなのです。ところが実際は、教師自身も法教育を受けたことはなく、法教育を受ける側の子どもたちと同じ状況にあるのが現状だと思われます。
そこで、どうすれば教師に法教育を理解してもらえるのか、どうすれば法的思考を教師自身のものにしてもらえるのか、それを考えたときに生まれたのが『教室から学ぶ法教育“子どもと育む法的思考”』の企画でした。
企画を進めるにあたっては、まず法教育推進協議会のメンバーでもある村松剛弁護士に企画の趣旨を伝え、法律家と教師のメンバー集めをお願いしました。そして、企画趣旨に賛同して集まってくださったのが本書の執筆者である教師と弁護士の方々でした。
それからの2年間は、弁護士から法的思考のポイントをピックアップしてもらい、教師からはそれに即して学校現場で実際に起こったまたは起こりうる問題を物語形式で書き起こしていただき、約月に1度のペースで会議をもって、議論を重ねながら原稿を仕上げていきました。
この間、法律家である弁護士たちの文章は何度も書き直していただくこととなりました。専門家ではない教師にとっては、法律家が当然と思って一言で片づけてしまっていることも順を追ってかみ砕いてもらわないとよくわからなかったり、裁判所に提出する書面を書き慣れている弁護士の文章は難しいうえに独特の言葉遣いで最初はとても一般向けとはいえないものだったからです。それはまさに日本の現状を象徴しているかのようでした。法律の世界と一般人の間にはやはり大きな乖離があったのです。
日本では、上記司法制度改革審議会の提案により、昨年から一般人が刑事裁判に参加する裁判員制度が始まりました。これにより、私たち一般人も、裁判員という経験を通して法や適正手続について考えるようになっていくと思いますが、一方で、法律専門家たちも変革を迫られています。今回、会議では、法を市民に近づける作業をする中で、同時に法律専門家である弁護士も市民に歩み寄る訓練をする場となりました。
さて、ここで本書の具体的な内容にも言及しておかなければなりません。本書は、上記の趣旨のもと、法的思考を養ううえで基本的な法的見方・考え方を提示・解説するために、テーマは最小限に絞り込みました。大きくは、(1)法の必要性と意義、(2)合意形成と法、(3)紛争解決と法、の3つです。その中で具体的に、(1)では「ルールの意義」について、(2)では「正義・公正」「約束の意義」「権威・権力の必要性」「民主主義」「基本的人権の尊重」について、(3)では「交渉・調停・仲裁・裁判」「罪刑法定主義」「適正手続の保障」について具体的な事例を挙げて解説をしました。さらに、実際にこのような問題が起きたときに教育的観点を踏まえて解決に導くための手がかりもほしいとの教師執筆者からの意見を取り入れ、教師からのアドバイスも付け加えました。
今回は、テーマを必要最小限に絞ったために、ことによれば物足りないと感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、基本的なこれらの法的見方・考え方を踏まえて、それを敷延していく読者自身の作業の中でこそ、実際には法的思考は身についていくものだと思います。
本書は、読者対象を小中学校の先生としながらも、実は「法なんてわからない」「自分には関係ない」と思っているすべての方に読んでいただきたいと思っています。それはとりもなおさず、「法の支配」のもとで私たち市民が真に民主主義の主役となるためです。本書がそのための一歩となれば、編集者・執筆者として大きな喜びです。