裁判員裁判時代のあらたな弁護活動に期待  
2009年12月14日
新倉修さん(青山学院大学教授)
  裁判員制度の実現は司法への国民参加をすすめるものとして評価される。今年8月に裁判員裁判の公判が始まり、裁判所も市民にわかりやすい裁判をしようと変わりつつあるようだ。しかし、最高裁判所や検察庁などは、とりあえず半年は「試行期間」と認識しているようで、本当の評価は来年になる。
今年5月以降に裁判員裁判の対象事件は1,000件弱だったという。予想よりも少なかった。それは、たとえば、従来は強盗傷害罪で起訴されたような事件が、窃盗罪と傷害罪での起訴となったりしていることからだ。被告人が強盗傷害罪に問われたら裁判員裁判が行われることになるが、窃盗罪と傷害罪での起訴の場合は通常の裁判=プロの裁判ということになる。検察官の方にも、できるだけ裁判員裁判は避けたいという雰囲気があるようだ。
この間の裁判員裁判は、比較的争点の少ない事件が対象だった。来年2月くらいから難しい事件の裁判員裁判が始まる。そのような裁判の状況をふまえて、裁判員裁判の評価と改革課題の本格的な検討が始まることになる。
とはいえ、この間の裁判員裁判からも改善すべき点はあげられる。たとえば、被告人が被害者を殺害したことを認める裁判の場合、殺意の程度などが量刑を大きく左右することになる。被告人が犯行に及んだ際に被害者が「死んでしまうかもしれない」と思っていた場合、殺意が小さかったことの弁護人の主張はよほど説得的でなければ、裁判員は、「要するに死んでしまうかもしれないと思っていたんだ」という心証になる。検察官は殺意の大きさを強調するのであるから、弁護人の弁論には工夫が必要となる。そうでないと、裁判員は、いきおい検察官の求刑に近い、重い刑を選択することになる。検察官はCGの技術などを駆使して裁判員へのプレゼンテーションをしており、弁護人にはそれに負けない弁論の工夫もいる。大変であるが、弁護人には、被告人の防御権を守るという立場を見失うことなく、熱意を持っていっそう工夫を重ね、裁判員の理解を得る努力が求められることになろう。
裁判員に課される守秘義務が必要以上に強調されていることも問題だ。裁判終了後に裁判員が記者会見をするが、裁判所職員が裁判員の発言をコントロールしているようにみられる場面があった。もちろん裁判員の個人情報などが不用意に漏れないように気をつけなければならないが、裁判の経験や自分の考えはできるだけ自由に発言できるようにすべきだ。結局、とかく裁判所が情報を公開したがらないのは問題がある。情報を公開し、外部からの批判も受けるようにしていかないと改革は進まない。
政権が変わり、自民党・公明党政権時代に制度設計された司法制度改革は「一段落した」という雰囲気がある。ただ、裁判員制度については施行3年後の見直しに向け、すでに法務省内に「裁判員制度に関する検討会」が設けられた。今後はここでの議論にも注視して、必要なら裁判員制度の改善をどしどし要望していかなければならない。(2009年12月10日・談)
 
【新倉修さんプロフィール】
青山学院大学法科大学院教授(刑事法)。日本国際法律家協会会長。
『いま日本の法は―君たちはどう学ぶか(第3版)』(2001年、日本評論社、共著)、『裁判員制度がやってくる―あなたが有罪、無罪を決める』(2003年、現代人文社、編著)、『導入対話による刑法講義〈総論〉(第3版)』(2006年、不磨書房、共著)など著書多数。