100年の谺(こだま)―大逆事件は生きている  
2012年9月10日
千原卓司さん(「100年の谺上映委員会」事務局)
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―――大逆事件の裁判は日本の司法の歴史の一つとしても語り継がれるべき裁判だと思います。この大逆事件をテーマにした映画がつくられ、これから各地で上映会が始まっていこうとしています(9月14日(金)に東京で、9月23日(日)に京都で開催。すでに8月25日(土)に高知・四万十で開催。)。まずは、この映画がつくられることになった経緯からお聞かせください。

(千原さん)
 明治天皇暗殺を企てたとされる大逆事件は、1910年に全国で26名が逮捕・起訴(当時は予審請求)され、24名が旧刑法73条、いわゆる大逆罪で死刑判決をうけた事件です(翌日12名が無期懲役に減刑)。しかし、この大逆事件に連座した人々のほとんどは、実は貧困や差別をなくし、自由・平等・博愛の理念のもと、平和な社会をつくろうとした人々でした。その中には僧籍の人などもいて、教団から追われたりしましたが、1990年代になってようやく教団の側が僧侶の名誉回復・復権を始めました。連座した人々の出身地でも顕彰運動が起き、人権回復がなされてきています。
 こうした状況の中で、これまで近・現代史をテーマにした作品をつくってきた映画監督・藤原智子さんが、大逆事件100周年にあたり、ぜひ世に広げたいと考え、この作品がつくられました。

―――そもそも大逆事件とはどんな事件だったのですか。もう少しご説明してください。

(千原さん)
 要点だけご説明すると、明治時代の後期、日本の資本主義化と農民・労働者の貧しさがすすみ、被差別部落の人々に対する差別もひどいものでした。一方、当時の天皇制国家は、日露戦争を起こして、大陸への進出を図ろうとしていました。これに反対し、平和を守ろうとして非戦を唱えた、社会主義・無政府主義者、それに若干でもつながる人々を一網打尽にしようと、実際に起こってもいない天皇暗殺計画をフレームアップし、彼らを死刑や無期懲役にし、迫害したり一家離散の責め苦を負わせたのです。
その裁判が行われた大審院では、審理を非公開とし、証人申請はすべて却下し、翌年には早々と判決を言い渡しています。死刑判決を下した24名のうち12名を、間髪を入れず、処刑したのです。これが大逆事件の大要です。

―――映画の上映がはじまりましたが、観た方々の反応はいかがでしょうか。

(千原さん)
 多くの人たちから、歴史の事実を知り、よかった、という声を寄せていただいています。
 大逆事件で犠牲になった人たちから届く「100年の谺(こだま)」に耳を傾けながら、大都市圏での上映活動、顕彰活動などの一環としての地元での上映活動にも協力していきたいと思っています。

―――戦前、総理となった原敬が陪審制度導入をすすめましたが、大逆事件への認識がその動機の一つだったと言われます。戦後に生まれた日本国憲法の刑事手続きの規定は、被疑者・被告人の人権に配慮するものになりましたが、大逆事件の裁判の問題点がその淵源にあったのではないかと思います。こうした意味でも、大逆事件の裁判を語り継ぐことはこんにちに通じるものがあると思います。
 千原さんのお考えをお聞かせください。

(千原さん)
 大逆事件当時は、予審判事が起訴して公判判事が公判にあたっていたわけですが、まさに両者が結託してほとんどの被告人を判事がつくったストーリー通りに有罪にしていきました。そのことに対しては当時からすでに違法との指摘があったようです。映画の中にも出てきますが、石川啄木も怒りを感じて「日本はダメだ」と日記に書いています。
 この事件はいまも、国家権力というものに私たち一人ひとりの市民がどう対峙していくかを問うているように思います。国家が権力だなんて、日常的にはピンとこない人が私も含めてほとんどだと思いますので、ぜひ一緒に考えていきたいと思っています。

―――ありがとうございました。映画の上映が広がることを期待しています。


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