【村井敏邦の刑事事件・裁判考(13)】
名張毒ぶどう酒事件再審請求棄却決定について(1)
 
2012年6月6日
村井敏邦さん(大阪学院大学法科大学院教授)

 5月25日、名古屋高裁は、名張毒ぶどう酒事件の再審請求を棄却する決定をしました。この決定は、大方の予想を覆すものだったということができます。そのことは、多くのマス・メディアの論調が示しています。日本経済新聞、東京新聞、毎日新聞、その他多くの地方紙が社説や論説で、この決定を批判しているのです。
 たとえば、5月31日の東京新聞は、社説において、「試されるのは最高裁だ」というタイトルを掲げ、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審でも適用されるという「白鳥決定」を引用し、今回の決定は、「毒物の科学鑑定に終始し、この肝心な刑事裁判の基本をおろそかにしたきらいなしとはいえなかった」としました。

名張毒ぶどう酒事件とは

 1961年3月28日、三重県名張市葛尾と奈良県山辺郡山添村にまたがる地区の生活改善グループ「三奈の会」の年次総会が開かれ、女性にはぶどう酒、男性には清酒が出されました。ぶどう酒を飲んだ17名の女性が次々に苦しみだし、うち5人が死亡しました。ぶどう酒を飲んだ女性だけが中毒症状を示したということで、ぶどう酒の中に毒薬が入っていたのではないかということになり、ぶどう酒を検査した結果、有機燐テップ製剤である農薬ニッカリンTが検出され入っており、これによる中毒によって死亡したということになりました。犯人として「三奈の会」のメンバーで、この総会にも出席していた奥西勝さんが自白したとして逮捕され、起訴されました。奥西さんは、逮捕後から現在まで、終始一貫無罪を主張しています。
 1964年12月23日、津地方裁判所は、目撃証言にいう犯行時刻と自白との関係や奥西さんが毒を混入するためにぶどう酒のはいった一升瓶の王冠を歯で開けたことを示す証拠として提出された王冠の歯型が必ずしも奥西さんの歯型とはいえないなど、自白と客観証拠との矛盾を指摘して、奥西さんに無罪を言い渡しました。
 これに対して、検察官が控訴し、控訴審の名古屋高裁は、1969年9月10日、一審の無罪判決を覆して、一転して奥西さんに死刑判決を言い渡しました。(1)「三奈の会」が開かれた公民館囲炉裏の間において封函紙を破って毒物を混入することができたのは、奥西さん以外にはいないこと、(2)囲炉裏の間で発見された王冠についていた歯形は奥西さんのものであること、(3)毒物はニッカリンTであり、奥西さんはそれをもっていたこと、(4)自白が信用できることの4点が、有罪判決の柱になっていました。弁護側は、最高裁に上告しましたが、1972年6月15日、最高裁は上告を棄却し、奥西さんの死刑が確定しました。

再審請求へ

 奥西さんは、確定直後の1973年から1977年の第5次請求まで、毎年4年間連続で再審を申し立てましたが、ことごとく請求を棄却されました。第5次再審請求では、弁護側の提出した歯型鑑定によって、検察官側の歯型鑑定の証明力が大幅に減殺されたことを、裁判所が認めるまでに至ったのですが、それでも、奥西さんの歯型であってもおかしくないという限度での証明力はあるという論理で、確定判決が維持され、再審は開始されませんでした。1997年1月28日、第5次再審請求に対する特別抗告が、封函紙を破る以外の方法で毒物を混入することはできず、これをすることができたのは奥西さんしかいないなどとして、最高裁で棄却され、その二日後に第6次再審請求が行われましたが、これも、2002年4月8日に棄却され、その直後に申し立てられたのが、今回の決定につながる第7次請求です。
 この7回目の再審請求を受けた名古屋高等裁判所刑事第1部は、2005年4月5日、再審を開始するという決定を下しました。死刑確定から33年を経てはじめて出された再審開始決定でした。

再審開始決定以後

 名古屋高等裁判所刑事第1部の開始決定は、弁護側が提出した新証拠によって、以下の3点にわたって確定判決に疑問が生じたとしました。
(1)封緘紙をまったく破損することのない偽装的な方法による開栓が可能であることが判明し、その結果、毒物混入の場所を封緘紙の破片が発見された公民館囲炉裏の間付近と特定することはできないことになったこと、
(2)本件ぶどう酒に装着されていたものとされている四つ足替栓(王冠の外栓)が本件ぶどう酒の瓶のものではなかった疑いも生じ、この結果、そこについていた傷痕が奥西さんの歯の痕であっても矛盾しないとの証明力を有していたとされる鑑定は,その前提が揺らぎ、歯で開けたという奥西さんの自白の信用性を補強する意味は大幅に失われていること、
(3)本件ぶどう酒からは、ニッカリンTならば含まれているべき成分が検出されなかったこと、その結果、ぶどう酒に混入された毒物は、ニッカリンTではなかった疑いが生じたこと、この点は、奥西さんがニッカリンTを所持していた事実について奥西さんを犯人と推定する力を弱めるとともに、奥西さんの自白についてもその信用性に疑いを生じさせるものとなっていること。
2006年12月26日、検察官の異議申立てを受けた名古屋高裁刑事第2部は、上記(1)(2)については、確定判決を揺るがすほどの証明力はないとし、(3)「本件で使用された農薬が、ニッカリンTではなく、別の有機燐テップ製剤の農薬であった可能性もまったく否定はできない」としながらも、結局、本件毒物はニッカリンTであるとし、ニッカリンTに含まれているべき「トリエチルピロホスフェートもその成分として含まれていたけれども、当時の三重県衛生研究所の試験によっては、それを検出することができなかったと考えることも十分可能といわなければならない」とし、その後の叙述では、ニッカリンTと「断定」さえしました。そして、「購入した上記のニッカリンTが請求人の手許に存在したことが認められ,それが犯罪に使用された可能性は十分にあるのであるから、犯行に使用された毒物の面から,請求人が犯行を行うことが現実に可能であったことは明らかである」として、この点において、確定判決の判断は正当であり、誤りがあるとはいえないと結論づけました。
 上の異議審決定でも、毒物がニッカリンTであることについては、疑問が払しょくされていないのです。そうなると、自白の信用性にも疑いが生じ、請求審の開始決定維持の判断になってもよかったはずです。
 この異議審決定に対して、弁護人側が特別抗告し、2010年4月5日、最高裁第3小法廷は、この決定には、審理を尽くさなかったところがあるとして、審理を尽くすために、名古屋高裁へ差し戻す決定をしました。異議審決定の判断構造に疑問を提起したにもかかわらず、最高裁は再審開始にふみきりませんでした。86歳という奥西さんの年齢を考えると、決着をつけなかった最高裁の態度は大いに疑問というべきでしょう。次回、差戻し審の決定の検討を含めて、長期にわたる名張事件の司法判断の問題を分析することにします。

<次回に続く>
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。