【村井敏邦の刑事事件・裁判考(7)】
絞首刑の残虐な刑罰にあたらないか ― 絞首刑の合憲性をめぐる裁判(その1)
 
2011年11月7日
村井敏邦さん(大阪学院大学教授)

裁判員裁判で大阪地裁合憲判断
  10月31日、絞首刑について、大阪地裁で裁判員も加わって合憲との判断が出されました。この裁判では、大阪のパチンコ店に放火して、5人の人を死に至らしたという被告人の事件が裁かれました。死刑が予想されるということで、弁護人は、死刑の合憲性を真正面から問うという戦術をとり、裁判所もこれに応じて、裁判員裁判としては最長の60日間の審理が行われました。
  弁護人は、死刑そのものの違憲性ではなく、絞首刑の違憲性を争い、首つり自殺で首が切断される場合があるという研究結果を発表しているオーストリア法医学会会長ヴァルテル・ラプル博士をオーストリアから招いて、証言を求めました。あわせて、元検察官で死刑執行にも立ち会ったことのある土本武司筑波大学名誉教授をも証人として申請しました。
  ラプル博士は、受刑者の体重とロープの長さなどによって違いが出るが、日本の絞首刑によっても頭部切断の可能性があること、また、そうでない場合には、絞首刑によって即座に死亡するのではなく、ゆっくりとした窒息死に至る可能性があることを証言しました。
  土本教授は、死刑一般については違憲とはいえないが、絞首刑については残虐な刑罰で憲法違反だと思うとの意見を述べました。
  これらの証言を聞いたうえで、評議の結果、和田真裁判長は、「死刑という制度に、ある程度のむごたらしさを伴うことは避けられず、絞首刑が最善の方法かどうかは議論がある。しかし、死刑を受ける人はそれだけの罪を犯しているのだから、多少の精神的、肉体的な苦痛は受け入れるべきだ」として、絞首刑は憲法に違反しないという判断を示しました。そして、この判断については、裁判員の意見も聞いたうえでのものであると述べました。

残虐な刑とは?
死刑は残虐な刑罰か

  憲法は、36条で残虐な刑罰を禁じています。そこで、死刑がこの残虐な刑罰にあたるか否かが、裁判で問題になりました。最高裁判所は、1948(昭和23)年3月12日の大法廷判決以来、死刑は残虐な刑罰に当たらないとしてきています。この判決の冒頭には、「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。」と生命尊重の精神を掲げられています。その上で、最高裁判所は、「死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。それは言うまでもなく、尊厳な人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去るものだからである。」と死刑の究極性を指摘しました。
  そして、生命の重要性について、さらに敷衍して、「まず、憲法第十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする旨を規定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているものといわねばならぬ。」としました。さらに、憲法第31条をあげて、「これによれば、国民個人の生命の尊貴といえども、法律の定める適正な手続によつて、これを奪う刑罰を科せられることが、明かに定められている」ので、「憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである」としています。これによって、憲法は、第一に、「死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑の執行によつて特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会を防衛せんとしたもの」であり、第二に、「個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性を承認したものと解せられる」としました。

執行方法の残虐性
  判決では、死刑が残虐な刑罰に当たる場合として、「その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条に違反するものというべきである」としました。

絞首刑は残虐な刑罰か
  1948年大法廷判決では、残虐性は執行方法によるとされました。それでは、絞首という日本で現在行われている執行方法はどうなのでしょうか。この点が大阪地裁での裁判の争点となりました。この点についても、最高裁判所の判例があります。
  1955(昭和30)年4月6日の最高裁判所大法廷判決は、「現在各国において採用している死刑執行方法は、絞殺、斬殺、銃殺、電気殺、瓦斯殺等であるが、これらの比較考量において一長一短の批判があるけれども、現在わが国の採用している絞首方法が他の方法に比して特に人道上残虐であるとする理由は認められない。従つて絞首刑は憲法三六条に違反するとの論旨は理由がない。」としました。
  絞首刑が残虐でない理由については、判例は、銃殺、電気殺、ガス殺などとの比較考量だけしかあげていません。これに対しても、大阪パチンコ店事件の弁護人は、電気殺は州憲法が禁じている「残虐で異常な刑罰」にあたるとした、2008年2月のネブラスカ州最高裁判所判決を挙げて反論しています。この違憲判例以来、受刑者自らがこの方法を望まない限り、アメリカのみならず世界中で行われなくなる可能性が高いと指摘して、それとの比較で絞首刑を残虐な刑罰にあたらないとした判例は見直されるべきであると主張しました。
  絞首刑が残虐でないとするためには、このような比較衡量だけではない実質的な理由が必要です。しかし、判例は、そのような実質的根拠をあげることなく、絞首刑は残虐な刑罰にあたらないとしてきました。今回の裁判で弁護人が問題にしたのは、残虐でないとする判例の判断には、実質的な根拠がないという点です。

(続く)

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。