裁判員裁判で初の全面無罪判決  
2010年8月2日
浦ア寛泰さん(弁護士)

1 歴史的判決

 「主文 被告人は無罪」
裁判長の声が法廷に響いた瞬間、傍聴席は騒然となりました。他方、6人の裁判員は、表情を変えずにじっと被告人(Aさん)の顔を見つめていました。
平成22年6月22日、千葉地裁で、覚せい剤取締法違反等に問われた被告人のAさんに対し、裁判員裁判としては全国で初めてとなる全面無罪判決が言い渡されました。
私は、この歴史的な判決を弁護人席で聴きながら、日本の刑事裁判が大きく変わりつつあるのだという時代のうねりを肌で感じました。

2 どんな事件?

 平成21年11月、日本人男性のAさんが、チョコレート缶3缶に覚せい剤約1キログラムを隠して日本に密輸入したとして、成田空港の税関検査で摘発され、覚せい剤取締法違反等で起訴されました。
Aさんは、逮捕時から一貫して、チョコ缶のなかに覚せい剤が入っていることは知らなかったと訴えてきました。
実は、Aさんは、仕事仲間のイラン人男性(ここでは「D氏」と呼ぶことにします。)に頼まれて、「偽造パスポート」の密輸入をしようとしたのでした。Aさんは、D氏の依頼でマレーシアのクアラルンプールに行き、指定された人物から偽造パスポート5冊の入った袋を受け取りましたが、その際、偽造パスポートと一緒に、土産としてチョコ缶3缶を受け取りました。Aさんは、チョコ缶に特に不自然な点はなかったため、そのままチョコ缶を日本に持って帰りました。
ところが、成田空港の税関検査でチョコ缶のなかから覚せい剤が出てきたため、逮捕されてしまったのです。
裁判官3名と裁判員6名が評議をした結果、「被告人が、本件チョコレート缶内に違法薬物が隠されていることを知っていたことが、常識に照らして間違いないとまでは認められない。」として、Aさんに無罪を言い渡しました。

3 もし裁判官だけの裁判だったら・・・

 覚せい剤密輸事件のほとんどは、「ブツ」のやり取りが国外で行われています。また、関係者も、実在するのかすらはっきりしない外国人ばかりというケースが稀ではありません。そのため、日本国内の事件であれば当然行われるべき裏付け捜査等がほとんど行われず、検察官の立証も雑になりがちなのです。
しかし、職業裁判官は、このような捜査機関側の実情に「配慮」して、多少検察官の立証が雑でも目をつぶってきました。いわば、裁判官と検察官の間の「阿吽の呼吸」で事件が処理され、「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の大原則が軽んじられてきたのです。
その結果、密輸組織に利用されて知らずに運び屋にされてしまった冤罪事件の多くが見過ごされてきたかもしれないのです。

4 裁判員裁判でどう変わるか

 一般市民から無作為に選ばれた裁判員は、捜査側の事情など分かりませんし、有罪事件への「慣れ」もありませんので、一生懸命、法廷で証拠を見聞きし、被告人の言葉にも熱心に耳を傾けようとします。その結果、刑事裁判の大原則に従って、予断のない目で検察官の立証が本当に合理的な疑問が残らないかを見極めようとします。
今回の事件で裁判員を務めた方が、判決後の記者会見で、「証拠が少なすぎた」「税関検査をビデオ録画するなど、客観的な証拠があれば判断しやすかったはず」「検察官は、有罪にしたいのならもっと証人を呼ぶべきだった」などの感想を述べたとのことです。
検察官には、「外国の捜査が難しいことは裁判官も分かっているから、この程度の立証でも有罪にしてくれるだろう」という甘えがあったのかもしれません。これまでの裁判官のみの裁判であれば通用したかもしれませんが、裁判員裁判ではそのような甘えは通用しないのです。
従来の雑な立証は裁判員の前では通用しないということを明らかにしたという意味で、今回の無罪判決は、裁判員制度の真骨頂を示したまさに歴史的判決であると高く評価したいと思います。

5 検察官控訴を許していいのか?

 ところで、今回の無罪判決に対しては検察官が控訴をしました。今後、高等裁判所で審理が行われます。高等裁判所の審理には、裁判員は加わりません。職業裁判官3名だけで審理されます。
もちろん、今回の千葉地裁の無罪判決が高等裁判所で覆されることはないと確信していますが、万が一、高等裁判所の審理で無罪判決が覆るようなことになれば、裁判員裁判は一体何だったのかということになりかねません。
そもそも、裁判員裁判の判決、特に無罪判決に対して、検察官が控訴をすることを許していていいのでしょうか。米国では、陪審員の無罪の評決に対して検察官が控訴をすることは認められていません。今後法律を改正することも必要ではないかと思われます。
いずれにしても、これから行われる高等裁判所での裁判の行方にご注目いただきたいと思います。

 
【浦ア寛泰(うらざき ひろやす)さんのプロフィール】
1981年 岐阜県生まれ
2005年10月に弁護士登録。
2006年10月から、長崎県壱岐市(離島)に設置された法テラス壱岐法律事務所の初代所長(常勤スタッフ弁護士)として勤務。
2009年10月から、千葉市に設置された法テラス千葉法律事務所の初代所長として勤務。
著作は『市民と司法の架け橋をめざして』(共著、日本評論社)など。