様変わりへ好スタート  
2009年9月7日
飯室勝彦さん (中京大学教授、東京新聞・中日新聞論説委員)
  見たり聞いたりするだけだった市民が主体として参加し自分で判断し決定する――日本の刑事裁判は様変わりへ好スタートを切った。裁判員裁判は、少なくとも現段階においては反対論者の批判をはね返し、成功を期待できる成果をあげているように見える。
全国第一号となった東京地裁の事件も、第二号のさいたま地裁の事件も事実関係に大きな争いはなく、量刑が焦点だった。それだけに審理は低調になると予想する向きもあったが、ふたを開けてみたら違った。
裁判員は証人や被告人らに活発に質問し、東京地裁では捜査段階で作成された供述調書の内容と法廷供述の矛盾を突く鋭い質問もあった。裁判員裁判を成功させるために調書裁判からの脱却が求められているだけに、いきなり裁判員が核心に切り込んだ形である。
判決後の記者会見で裁判員は「以前からの知り合い同士のような感覚で意見交換できた」「裁判は難しかったが皆と成し遂げた」など、責任を果たした満足感と充実感をこもごも語った。
スタート前、新制度に対する一部の人たちの批判は厳しかった。その中には「付和雷同する日本人の国民性には合わない」「お上頼りの国民性だから裁判官に引きずられ、結局、何も変わらないだろう。裁判官主導の裁判の結果と責任だけが市民に押しつけられる」など国民性を理由にした反対論も強かった。
まだ始まったばかりで結論を急ぐべきではないが、二件に関してはこれらの批判が当たらなかったと言っていいのではないか。裁判官、検察官、弁護人の周到な事前準備と配慮があったとはいえ、裁判員は法廷でも評議室もで独立した一社会人として振る舞うことができたようだ。
プロの裁判官の“相場観”にてらすと重すぎるとの声が多かった判決の量刑に、それが反映されたと見ることもできる。特に、被害者側にも非難されても仕方ない要素があった(ただし弁護人はその点を主張しただけで立証に成功していない)東京事件の判決「懲役十五年」には、違和感を覚えた法律専門家もあり、弁護人は控訴したが、裁判員はプロの感覚に引きずられなかったわけだ。
法律専門家の相場観と裁判員判決の量刑の違い、それは「隣人が突然ナイフを振るう怖さをリアルな現実と受け止められる」市民の感覚と、そんなことは生活実感として思い浮かばず、言葉や書類の中でしか考えられない人たちの感覚との違いではないだろうか。判決に対する賛否はともかく、その意味で量刑が裁判員裁判の意義、あるいは逆に問題点として考えられる重要なポイントに浮かび上がった。
成果は目の前の事件の裁判に直接関わる面だけではない。被告人の人生を知ったことをきっかけに、自分の生き方や犯罪、刑罰などについて内省的な思考を重ねたことを記者会見で披露した裁判員もいた。たくさんの人が裁判員を務めることを契機にこうした経験を重ねれば、犯罪や刑罰ばかりではなく社会のあり方を真剣に考える市民が増えるだろう。そうなれば司法制度改革審議会の報告書が目指した「統治客体意識から統治主体意識への転換」が視野に入る。
もちろん、今後の課題は多い。たとえば、分かりやすく早い裁判を名目に審理の充実が軽視される恐れだ。さいたまの事件では裁判員の一人が新聞記者の個別取材に対して「もっと質問して事実関係を詰めたい部分があった」と不満を漏らしている。
真実解明、充実した審理を犠牲にした迅速裁判は本末転倒であり司法改革に逆行する。審理終結を急ぐあまり裁判員が質問をためらう雰囲気を生じさせてはならない。
また、視覚に訴える分かりやすい立証のためには準備に労力と資力が必要だが、組織と資金力に恵まれた検察官に比べ圧倒的に不利な弁護人をバックアップする仕組みをつくることが急務だ。
評議の内容をきちんと反映した判決文の作成も大事だ。否認事件が少なくほとんどが量刑をめぐる争いになる現状を考えると、とりわけ量刑理由の記述は注目の的だ。
東京、さいたまの両事件とも判決文はこれまでと同じ型どおりの文章で、なぜその刑期に落ち着いたのか納得できる説明はなかった。これでは将来、裁判員となり得る多くの市民が先人の経験を共有できないし、当該裁判の被告・弁護人ばかりではなく今後、裁判員裁判に備えて訴訟戦術を考えなければならない訴訟当事者も困惑するだろう。
さいたまでは記者会見における裁判員の答弁を地裁職員が遮る事態もあった。裁判をもっと開かれたものにするためにも、多くの市民が「市民参加の経験」を共有財産にするためにも、裁判員の守秘義務を洗い直し、自分の経験、感想などをもっと気軽に話せるようにすることが必要だ。
新しい制度にはじめから完全であることを期待するのは無理がある。欠陥をあげつらうのではなく、使いながら改良してゆく姿勢の方が建設的だ。そのためには検証と試行錯誤をたゆまず続けるしかない。そうすることで裁判員裁判は市民の間に根付き信頼されるものになるだろう。
 
【飯室勝彦(いいむろ・かつひこ)さんプロフィール】
中京大学教授、東京新聞・中日新聞論説委員。
1964年から「東京新聞」「中日新聞」(いずれも中日新聞社発行)で、司法、人権、報道問題を中心に記者活動を続け、論説委員、論説副主幹を経て、03年から現職。
主要著書は、「報道の中の名誉・プライバシー」(現代書館)「裁判をみる眼」(同)「報道の自由が危ない−衰退するジャーナリズム」(花伝社)「敗れる前に目覚めよ−平和憲法が危ない」(同)など。