【村井敏邦の刑事事件・裁判考(86)】
特別養護老人ホームに起きた利用者死亡事件の判決
 
2019年4月9日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)
高齢化社会における事故の多様化
 高齢化社会が進行するにつれ、高齢者をめぐる事故が多様化するのは、当然のなりゆきです。
 高齢者の自動車運転による自動車事故が問題とされますが、高齢者の加害者化だけではなく、もちろん、高齢者の被害者化が増加してきています。
 高齢者の増加に伴って、高齢者のための介護施設も増加してきました。施設の増加は、介護の充実を伴う一方で、施設内での事故も多くなります。介護に伴う事故を予防し、防止するマニュアルも作成されてはいるのですが、それでも事故の発生を完全になくすことはできません。
 介護の現場はいわば戦場のようなものです。そうした現場で働く人たちの精神的・肉体的緊張感は外からは推し量ることのできないものがあると思われます。
 そうした苛酷な現場で一つの事故が起きました。

特別養護老人ホームで間食中に利用者死亡事故発生
 長野県にある高齢者総合福祉施設に設置されている特別養護老人ホームの食堂で、他の利用者とともに間食のドーナツを食べていたKさん(当時85歳)が死亡するという事故が発生しました。
検察官は、業務上過失致死事件として、事件の時にドーナツを配膳していた准看護師のYさんを長野地検松本支部に起訴しました。

 起訴状によると、Yさんに対する業務上過失致死罪を認める注意義務違反の内容は、以下の通りです。
 Kさんは、口腔内に食物を詰め込む特癖を有し、食物を誤嚥する恐れがあり、かつ、当時、同食堂において利用者に対する食事の介助を行う職員が被告人及び同施設介護職員1名のみで、同介護職員は利用者に提供する飲み物の準備中であったため、Kの食事中の動静を注視することは困難であったのであるから、同人が間食のドーナツを口腔内に詰め込んで誤嚥することがないように被告人自ら前記Kの食事中の動静を注視して、食物誤嚥による窒息等の事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、他の利用者の食事の介助に気を取られ、前記Kの食事中の動静を注視しないまま同人を放置した過失により」、被害者にドーナツを誤嚥させて、窒息による心肺停止状態に陥らせ、同人を死亡させたというものです。
 その後、検察官は、上記の訴因に加えて、特別養護老人ホームにおいて間食を配膳する際には、入所者に提供する間食の状態を確認して窒息事故等を防止すべき義務があるのに、それに反してドーナツを配膳した過失により被害者を死亡させたという予備的訴因を追加しました。

裁判所の判決
 裁判所は、主位的訴因の成立は否定しましたが、予備的訴因を認め、Yさんを業務上過失致死罪で有罪として、罰金20万円を言い渡しました。
 弁護人は、そもそも本件が間食中の事故であるという点に疑問を示し、むしろ自然死ではないかと主張しましたが、裁判所は、被害者の死因は間食に出されたドーナツをのどに詰まらせて窒息したことによるとしました。
 その上で、被害者がドーナツを一時に口に入れることによって窒息することを予見できなかったわけではないが、これまで誤嚥による障害を起こしていないうえ、当日、被告人は介助の必要な重篤な人の介助中であったのであるから、検察官の主張するように、被害者の動静を注視していなければならない注意義務があったとはいえないとして、主位的訴因の成立を否定しました。
 しかし、その一方で、被害者は食物を口の中に詰め込む癖があり、そのため間食にはゼリー状のものを提供するように申し送りがあったのだから、その点に注意することなく、ドーナツを提供した点に過失を認めて、業務上過失致死罪の罪責を問いました。

裁判所の判決の問題点
 本件の第一の争点は死因です。検察官は、間食に提供されたドーナツによる窒息死と主張し、裁判所はこの主張に沿った認定をしています。しかし、弁護人は、窒息死に見られる状態が被告人にないことから、自然死ではないかと疑問を投じています。
 弁護人の疑問に対して、裁判所は、窒息死と認めても矛盾をしない症状であるとして、窒息死としています。しかし、窒息死とするには、そのことを示す兆候が被害者に見られないことは、弁護人の疑問に合理性があると、私には思われるのです。
 裁判所は、ドーナツによる窒息死が死因であるとしたうえで、被害者に提供する間食の形態が変わったことに気づかずに、ドーナツを提供したことに過失を認めています。この点について、弁護人は、間食の形態が変わったのは、誤嚥の危険性があるからではなく、下痢をする可能性があるからであると主張しています。
 間食の形態変化についての申し送りの意味については、争いのあるところであり、被害者がこれまでドーナツで誤嚥を起こしたということがなかったということからするならば、果たして形態変化についての申し送りに気づかなかったということが、それほど重大な注意義務違反と評価されるべきものであったかについて、まず疑問があるところです。
 また、仮に被告人に申し送りに気づかなかった過失があったとしても、裁判所が主位的訴因を認めなかったのは、それまでの被害者の状態と被告人の当日の勤務状態からするならば、被害者が誤嚥する危険を予見して窒息を防止することはできなかったからです。この点は、予備的訴因についても当てはまるのではないでしょうか。ドーナツの配膳ミスがあったとしても、それによって被害者がドーナツをのどに詰まらせて死亡することまで予見し、その結果を防止することは、被告人にはできなかったというべきでしょう。この点、主位的訴因を具体的な事実関係によって否定しながら、予備的訴因については、きわめて形式的な認定で肯定していることに、筆者は大変、違和感を覚えます。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。