三鷹バス痴漢冤罪事件を支援する(その2)  
2013年8月26日
生江尚司さん
(「三鷹バス痴漢冤罪事件を支援する会」事務局・国民救援会三多摩総支部)
前回からのつづき>

「不可能とまではいえない」から有罪!? 一審判決の問題点@

 これだけの物証がありながら、なぜ有罪判決なのでしょうか。
地裁立川支部の倉澤裁判官は「右手は携帯、左手は吊り革で痴漢は不可能」という弁護側の主張に対して、バスが揺れたためにそれまで映っていた左手が物影に隠れて映らなくなる場面を捉え、“左手の状況が不明な時間があるので左手なら可能だ”と推測で痴漢を「認定」したのです。
 判決は「たしかに、バスが揺れている状況の下で、右手で携帯電話を操作しながら、左手で痴漢行為をすることは容易とはいえないけれども、それが不可能とか著しく困難とまではいえない」と説示しています。
 バスが揺れているのにわざわざ支えとなる吊り革を手放し、必死で踏ん張ってメールを打ちながら痴漢をする人間がいるでしょうか? 一般の常識から大きく外れた、理解しがたい判決です。
 まず確認したいことは、あらためて車載カメラの画像を精査すると、判決が「左手の状況は不明」とした時間帯も左手が吊り革をつかんでいることが明らかで、判決は重要な証拠を見落としていることです。
 そのうえで、犯行が「不可能」であることの証明を被告人に求めたに等しい、この判決はやはり異様です。左手が見えていないとき(上述のように、それは裁判官の見落としなのですが)、その見えていない「左手が痴漢をした」というのは、憶測による単なる可能性です。しかも、そうした行為は「容易とはいえない」ことまでは認めているのです。これは判決自ら「合理的な疑い」の存在を認めていることを示すのですから、無罪が当然ではないのでしょうか。

事件のバスと同タイプの車両後部
右手、左手以外の「手」で犯行? 一審判決の問題点A

 もう一つ、論理的にまったくおかしい部分が判決にはあります。
 被害が始まったとされる時間帯に、女子高生は「(津山さんの)左手は吊り革につかまっていた」と証言しています。判決は、それは「被害が始まったころの状況を供述したものと理解でき、・・・被害を受けている間中、被告人が左手でつり革をつかんでいたとの趣旨とまでは認められない」と説示します。
 判決は「被害が始まったころ」、左手が吊り革をつかんでいたことを認めています。一方、この時間帯に右手は携帯を操作していたことも認めています。「被害が始まったころ」に両手がふさがっていることを認めつつ、痴漢行為が「始まった」と言っているわけです。津山さんは右手、左手以外の「手」で痴漢をしたことになり、その論理矛盾は明らかです。判決のこの説示部分だけでも、無罪の判断をすべきだと思うのは私だけでしょうか。
 より合理的な可能性を考えるなら、手以外のモノ=リュックが接触したと考えるのが自然で現実的です。

「こんな思いをする方をなくすためにも・・・」

 「私の仕事は君を有罪にすることだ」「(痴漢が)バスの車載カメラに映ってるぞ」「目撃者がいる」――いずれも取調べで警察官が発した言葉です。しかし、裁判に目撃者は登場せず、カメラの画像は津山さんの無実の証拠でした。警察は明らかにウソの誘導で自白を迫ったのです。
 地検立川支部の検察官にも「認めないなら警察(の留置場)から出さない」と言われ、裁判所の保釈決定に異議申し立てまでして身柄拘束を続けようとしました。津山さんは28日間の勾留で保釈となりましたが、本人の身柄を「人質」にして自白を迫るやり方=「人質司法」は痴漢事件でもいまだに続いています。
 国際社会から「精神的拷問にあたる」「中世のやり方だ」と批判されるシステムの中で、痴漢冤罪はいまも生まれ続けています。
 「僕のような思いをする方をなくすためにも、こんな理不尽なことは許されないという前例をつくりたい」と語る津山さん。家族や交際相手、教え子、友人たち、また「支援する会」のボランティアに支えられて慣れない裁判をたたかってきました。
 「夢にもどる」ために、力を尽くし、思いを尽くそうとがんばる津山さんの東京高裁での逆転無罪のため、市民のみなさんのご支援を心よりお願い致します。


「三鷹バス痴漢冤罪事件を支援する会」
連絡先 〒232-0063 横浜市南区中里3-8-1-203斎藤方
      又は〒190-0021 立川市羽衣町2-29-12
      TEL/FAX 042(524)1532