国民の司法参加―地・家裁委員会の発展を願って  
2013年3月18日
西 理さん(西南学院大学法科大学院教授)
 「市民の司法」の書籍・論文紹介欄で、私の論稿「司法行政について」を紹介していただいたのがご縁で、今回この欄で発言する機会を与えられた。余り適役ではないが、責はふさがなければなるまい。
 ところで、ここのところ、私は弁護士会で話をすることが相次いでいる。@1月25日には日弁連の「地・家裁委員会全国担当者会議」に出席し、A2月2日には京都弁護士会の「法曹一元シンポジウム」に参加した。そして、B3月25日には札幌弁護士会にお邪魔して、地・家裁委員会の市民委員の方々にお話しをすることになっている。後期の授業も終えたところでもあり、上記拙稿を公にしたことのやむを得ないツケだと思い、お引き受けした次第である。そこで、その感想などを少し述べてみたい。
 今回は、まず@について。
 これは、文字どおり、全国担当者会議であるために、全国各地から弁護士さんが参加しておられ、私がかつて勤務した北見のN弁護士や、宮崎のE弁護士など、大変懐かしい方々に再会するという思いがけないおまけもあった。
 しかし、それにもまして、嬉しかったことは、各地の弁護士会や地・家裁委員会の弁護士委員、そして、日弁連がこの制度を立ち枯れさせないために熱心に取り組んでおられる様子を拝見することができたことである。
 私は、この制度は、「国民の司法参加」として画期的なものだと受け止めている。裁判員裁判制度の創設や検察審査会制度の改革が裁判面での「国民の司法参加」であるのに対し、「裁判所の運営」に国民の意見を反映させようというのがこの制度なのである。しかし、裁判員裁判が国民の大きな関心を呼び、裁判所もこの制度を無事スタートさせるために、最高裁以下、いわば組織を挙げて広報活動に取り組むなどしたのに比べれば、地・家裁委員会はいかにも地味な存在であった。マスコミの関心も、裁判員裁判とは比べようもなかった。そして、最高裁からはむしろ余り歓迎されていない制度なのではないかとさえ思われた。「司法行政について」の中でも紹介しているように、新しく地裁委員会が発足する際、私は大分地家裁の所長の職にあり、この委員会を立ち上げるために裁判官や職員の皆さんと議論を重ねた末、市民の自由な意見を拝聴するために、あくまで市民委員中心の運営に委ねることが肝要であること、したがって、所長や幹部職員はこの委員会の委員にならないことを確認したのである。ところが、大分地裁のこの方針は最高裁(総務局)には信じられないことだったようで、所長が委員長になって、委員会の運営に責任を持つべきであると強く「指導」された。私は、大分地裁の方針こそがこの制度の趣旨に副うものであると確信していたが、それ以上に、全国一律の方針で臨まなければならないかのように言われることが理解できなかった。そんなわけで、大分地家裁はついにこの「指導」に従わなかったのであるが、私が離任した後、直ぐに所長が委員長になることに変わったと伝え聞いたので、おそらく全国的にもそのような運営方針で統一されたに違いないと思い込んでいた。ところが、今般、日弁連から提供された資料を見て、決してそうではないことを知った。むしろ、ほんの少しずつではあるが、市民委員が委員長に選任されている委員会が増えているのである。最高裁が態度をやわらげたのか、それとも、各委員会の見識が示されたということなのか、或いは、両者が相俟った結果なのであろうか。いずれにしても、嬉しい見込み違いであった。
 それにしても、この会議に出席して改めて思ったことは、この委員会が真に根付いてくれ、地域の実状や切実な要求が市民委員を介して裁判所に率直に伝えられるようになったとき、裁判所はその地域の住民にとって本当の意味で身近で頼もしい存在になり得るのだろうということであった。そのためにも、裁判所の責任ある地位にある人たちに、このような課題に真剣に取り組んでおられる弁護士さん達の姿を、いたずらな警戒心や偏見なしに、見ていただきたいと切に願ったことである。
 
【西理さんのプロフィール】
大分地・家裁所長、福岡高等裁判所判事(部総括)を経て現在西南学院大学法科大学院教授