【村井敏邦の刑事事件・裁判考(18)】
歴史的事件の再審の動き ―大逆事件を中心として―(2)
 
2012年11月5日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)

前回からの続き>

第1次再審請求審の判断の問題点

 第1次再審請求審では、請求人坂本清馬と森近運平の二人を中心として、大逆罪の事実、意思を争いました。全体としては、必ずしもすべてがでっち上げというのではなく、少なくとも、請求人の二人については、事件はでっち上げだという主張です。これに対して、裁判所は、当時の調書等の信用性を認め、請求人らが提出した新証拠は、いずれも歴史的な評価を論じたもので、直接的に請求人らが無罪であることを証明するものではないとしました。
 請求人らは、捜査や予審において、自分が述べたこととは違うことが記載されているなどの主張をしたのですが、そうした主張は一切認められませんでした。
 調書には、被疑者や被告人が自らすすんで述べているように記載されていても、そうではなく、取調官の言ったことが、被疑者・被告人の言ったことのように書かれてしまっているということは、現在の冤罪事件に見られる、ごく当たり前のことです。そこで、現在では、調書は、いかにも筋が通っているように書かれていても、それ自体が信用できないとして、できるだけ調書に頼らないで事実を認定すべきだとされています。「調書裁判からの脱却」というのは、そうした実務の変革を求めるものです。
 大逆事件では、現代における調書裁判の原点ともいうべき捜査・予審・公判が行われたのです。そのことは、裁判所でも分かっているはずです。形式的に調書の記載の字面だけを見ていたのでは、真相がわからないのです。このような事件の扱う場合には、調書以外の客観証拠でよって事実が証明されているかを慎重に吟味する姿勢が必要です。ところが、その後の多くの冤罪事件と同様に、裁判所は、調書によって、いや、ほとんど調書だけによって請求人らが大逆事件に関与していたと認定したのです。

大逆事件再審検討会の発足

 大逆事件の第2次再審請求を検討する研究会は、元大阪弁護会会長の金子武嗣弁護士の呼びかけで、昨年2011年に発足しました。筆者も同年7月からメンバーになりました。法律家は金子さんと筆者のほか、龍谷大学の石塚伸一さんがメンバーになっています。その他のメンバーは、「大逆事件の真実をあきらかにする会」事務局長の山泉進さん、世話人で、大逆事件の「生き字引」と称される大岩川嫩(おおいわかわ・ふたば)さんなど、第1次再審請求から大逆事件に取り組んできた人たちです。大逆事件のドキュメンタリー『大逆事件―死と生の群像―』の作者、田中伸尚さん、ジャーナリストの早野透さんらも加わっています。
 この研究会の目的は、大逆事件の第2次再審請求の可能性を追求することです。その場合、第1次再審請求では、コアの部分、すなわち、「菅野スガ、宮下太吉、新村忠雄の三名については、あるいは天皇にたいする刑法第73条後段に該当する行為があったといいうるかもしれない」としていたが、このこと自体にも疑問をもってかかるというスタンスで、大逆事件全体を見直すという基本姿勢で検討をしています。

再審請求の検討課題

 これまで、研究会では、上記のようなスタンスのもと、まず、爆裂弾を製造し、爆破実験もしたとされている宮下太吉の行為について、はたして、人に危害を加えるほどの爆発物を製造したのだろうかという疑問を持ち、まず、宮下が製造したと同様の成分と量での爆発物がどの程度の威力をもつものかを実験によって確かめることを行いました。
 宮下が製造した爆裂弾は、いったいどのくらいの大きさだったと思いますか。遠くから投げても天皇に危害を加えることのできる程度のもの、ということになると、よほど大きなものが想定されるでしょう。ところが、実際には、7味唐辛子の缶大のものでした。直径2センチ、高さ4センチほどの小さなものです。これに火薬を入れて投げつけたとしても、爆発力で人に傷を負わせることができそうにありません。実際の実験の結果は、大きな音はしますが、ベニヤ板に少々の穴をあけることができる程度のものでした。筆者も、投擲実験に加わって、ベニヤ板に向けて投げつけたのですが、爆発しませんでした。ほかの人は爆発したので、筆者の投げ方が悪かったのでしょうが、投げ方次第で爆発しない場合もあるという例とはなりました。
 このような実験は、宮下らが爆発物によって天皇に危害を加えようと、真剣に意図していたのか、という疑問を生じさせます。
 大逆罪は、天皇に危害を加えることを企てることによって成立し、現実に危害を加える行為を必要としていません。そこで、危害を加えることを計画しさえすれば、大逆罪があったことになり、大逆事件では、そうした計画が幸徳秋水と菅野スガを中心として進められたというのが、官側のシナリオとされています。第2次再審請求の弁護人の主張も、幸徳秋水については冤罪の疑いがあるとしていましたが、上記菅野スガら3人の間にはそうした計画があったとしています。
 しかし、宮下らの考えたことも、天皇に危害を加えるという具体的な計画ではなく、抽象的な、いわば夢物語ではないか、せいぜい希望または思想のレベルではないか、上記の実験結果は、そのような見方を裏付けるものです。
 次に重要なことは、処刑された人たちを含めて、大逆事件の関係者の供述分析です。前述したように、第2次再審請求審の請求棄却判断は、もっぱら供述調書に拠っています。その点でも、供述分析は必要不可欠な再審請求への道です。
 研究会では、この供述分析については、心理学者の協力を得て、新しい三次元的手法を用いて、供述の変遷過程等の分析を行っています。その結果は、まだ出ていませんが、かなり面白い結果が出そうです。
このような新しい手法による供述分析のほか、従来型の供述分析も行っています。大逆事件においては、予審調書に記載されている供述を中心として、事実認定が行われています。そこで、予審調書の中の供述がどのような形で用いられて、大逆罪を基礎づけているのかを検討する必要があります。
 予審調書は、一問一答式で書かれているので、いかにも訊問とそれに対する応答とが、実際にその通りに行われたように見えます。また、予審判事の誘導的な質問に対して、それを否定する供述も書かれています。
 しかし、幸徳秋水の『獄中手記』や坂本清馬の再審請求審で述べるところなどによると、自分が言ったこととは違うことが書かれている部分が、大逆の計画というところでは多くみられるようです。
 すでに述べたように、第2次再審請求審は、大逆事件の被告人らはすらすらと自ら供述したとし、否認は否認として書かれているので、信用できるとしました。この再審請求審の判断について、筆者は、現在検討中ですが、どうも、予審判事の質問も含めて被告人の返答としているのではないかと見られる部分があります。
 一例をあげると、第2次再審請求人の坂本清馬が、大逆の意思を持って「決死の士」を募ったということを立証するとされる予審調書の供述部分があります。坂本が熊本の平民評論創立者松尾卯一太方で述べたとされるところです。これについて、請求人は、単なる高言放談であった主張したのですが、裁判所は、その場に居合わせた徳永五松と飛松与次郎の予審調書中の供述をもって、「革命をなすには大逆を行わなければならない」等の発言をしているので、単なる高言放談ではないとしました。
 しかし、予審調書のその部分を見ると、予審判事の訊問にある言葉がそのまま返答とされているのです。訊問で発せられた言葉をもって被告人が供述したことだとするのでは、いくらでも冤罪を作り出すことができます。この手法が現代でも使われていて、冤罪を生み出す典型的な方法となっています。

再審請求にあたっての問題点

 しかしながら、再審請求にあたっては、いくつかの問題を克服しなければなりません。その第1は、請求人の問題です。大逆事件は、発生後100年を経ているため、被告人とされた人たちは、処刑されなかった人も、今では生きている人はいません。その遺族も多くの人がなくなり、また、消息が知れなくなっています。消息が分かっても、今さら、大逆事件で被告人となった人の関係者として社会に知られることをいやだと思う人が多いのです。そうした中で、請求人として名乗りを上げる人を探すのは容易なことではありません。
 第2には、再審を請求するための新証拠の発見です。古い事件であるだけに、新たに証人を見つけることは不可能です。第1次再審請求では、幸徳秋水らの書き残したものや、当時の大審院検事などの回顧録などを無罪を立証する新たな証拠として提出しました。しかし、これらに対しては、裁判所は、単なる歴史的記述としてしか、扱っていません。
 おそらくはいまだ発見されていない資料の中に、被告人らの無罪を証明する証拠が隠されているのでしょうが、予審調書さえ開示されていない状況の中では、隠された証拠を提出させることは、大変に難しいことです。
 もちろん、再審請求を行えば、証拠開示を求めることもできるでしょうから、隠された証拠も明るみに出る可能性があります。しかし、問題は、請求するための新証拠の発掘です。
 上のこととも関連しますが、第3に、再審事件については、確定有罪判決当時の法制度において手続きが行われることです。大逆事件は、旧刑事訴訟法で審理されているので、再審も旧刑事訴訟法で行われます。再審規定は、現行法も旧刑事訴訟法とあまり違っていないので、それほど支障がないようですが、そもそもの有罪判決が大審院における一審限りの特別事件として審理された結果ですので、これ自体をどう扱うかという点も問題です。
 そのほか、大逆事件の審理は、かなり異例の形で行われていますので、異例尽くし事件の再審を求めるには、そうした手続きについての勉強もしなければなりません。研究会では、旧刑事訴訟法下での裁判についての勉強をしながら、再審への道を探っているという状態です。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。