えん罪被害者のこと −布川事件から感じること(その1)  
2012年5月21日
桜井恵子さん(布川事件えん罪被害者・桜井昌司さん夫人)

―――茨城県の布川で強盗殺人事件があり、桜井昌司さんと杉山卓男さんはその犯人とされて裁判で無期懲役となり、29年間獄中生活を強いられました。仮出獄した桜井さんと結婚され、桜井さんの雪冤のたたかいを支えてきた恵子さんにいくつかお伺いします。
 お二人は昨年無罪判決を勝ちとられましたが、恵子さんが昌司さんと結婚されたのは、まだ昌司さんの再審請求も認められない時期でした。恵子さんのご結婚には周囲の方々がいろいろと心配されたそうですが、どのような状況でしたでしょうか。そこにはえん罪事件に対する多くの人々の感覚が反映していると思いますので、お尋ねしたいと思います。

(桜井恵子さん)
 昌司さんとの結婚にあたって、家族からは、「裁判は三審制なので、最高裁まで行った裁判が間違うはずはない。裁判で無期懲役になった人との結婚は許さない」と反対されました。また、私の子どもたちが大人になる時期でしたので、「君はいいかもしれないが、そのような人と一緒になると、やがて子どもたちが結婚するときに支障が出るかもしれない」と言われたこともあります。とにかく、両親や兄、弟は私が昌司さんと結婚すると言ったことに大きなショックを受けました。
 親しい友人からも忠告を受けました。「刑務所に行った人を本当に信じられるの? そのうちに暴力を振るわれるんじゃないの」と言われました。
 みな私のことを心配して、善意で言ってくれたのですが、刑務所に行った人は間違いなく罪を犯した人、というのが一般的な感覚なのだと思います。私自身も昌司さんと会うまでは、えん罪というのはごくごく一部の特殊なことだと思っていました。

―――恵子さんは、いまは、えん罪は一部の特殊なことではなく、結構ある、という認識に変わってきたと思いますが、どのように変わってきたのでしょうか。

(桜井恵子さん)
 私の場合、精神的に落ち込んでいた時期に昌司さんと出会い、その昌司さんが獄中で詠んだ詩を見て、この人が強盗殺人をしたはずはない、と確信しました。そして、昌司さんの何事にも前向きな姿勢に接したことが大きかったと思います。
 それと時代状況も私を変えてきたと言えるかもしれません。特に1995年の松本サリン事件で、被害を受けた河野義行さんが犯人だと疑われてしまったことが鮮明に思い出されます。その事件の映画「日本の黒い夏 enzai 」を観て、実際に河野さんの講演を聞き、人がいつ濡れ衣を着せられるかわからない、ということを知ることになりました。その後、布川事件の守る会の一員として、鹿児島の志布志で住民が選挙違反で逮捕・起訴されたけれども事実無根で無罪になる、という事件や滋賀県の日野町事件、栃木県の足利事件、福岡県の引野口事件などのえん罪被害者の方々とも直接交流する機会もあり、そのような中で、私のえん罪問題への認識も変わってきました。

―――ご家族もえん罪問題への認識に変化があったと思うのですが、どのような経緯でどのように変化しているのでしょうか。

(桜井恵子さん)
 弟が病に倒れた時、昌司さんが頻繁に見舞ってくれました。その真摯な姿がやがて私の家族が私たちの結婚を許してくれるようになる、大きな契機になりました。
 それと両親の心境の変化には、ずっと昌司さんと杉山さんを支援し続けてくださった支援者の方の力が大きかったです。その方は私の両親にも毎月発行していた支援運動のニュースを手紙とともに送り続けてくださいました。

―――えん罪被害がいろいろなところで生じている、ということが人々に少しづつ広がっていますが、そこにはそのことを知っている人たちの努力がある、ということがよくわかります。

<次回に続く>


布川事件の再審無罪判決1周年にあたり、5月25日(金)まで、布川事件のドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」の上映会が東京・渋谷のオーディトリウム渋谷で開催されています。案内チラシはこちら