芦別事件と裁判の経過と問題点を語り継ぐ  
2011年8月29日
井尻光子さん(芦別事件被害者)
井尻光子さんが参加したシンポジウムの記録などが掲載された本

―――1952年、北海道の芦別で国鉄(現JR)の鉄道爆破事件があり、井尻さんのご主人・正夫さんと地主照さんがその犯人として逮捕・起訴されました。井尻さんと地主さんは犯人ではないことが、その第二審で認められました。この事件・裁判は司法の現状と課題を考える上でも重要であり、『芦別事件を知る −事件が語る今日的意義』の刊行に際してお話しをお聞きしたいと思います。
  まずは、ご主人が逮捕・起訴され、第一審では有罪とされた時期のことからお聞かせください。
(井尻さん)
  井尻が逮捕された時は、本当にびっくりしました。当時私たちは油谷炭鉱というところで働いていました。鉄道爆破事件の後、油谷炭鉱で働く若い仲間がいろいろな理由で次々と逮捕され、取り調べられました。そして、警察は労働運動に参加していた井尻と地主さんが犯人だとする筋書きをつくって、多くの人からそれに沿う嘘の証言を引き出し、そのような経緯を経て、実際に井尻と地主さんを逮捕したのです。
  その過程のことですが、警察は当時16歳だった原田さんから、私が井尻を呼び出したとする証言を引き出しました。実は、警察は原田さんに対して「井尻のおばさんはこう言っている」という嘘を教え込むことによって原田さんの嘘の証言を引き出したのです。そして私には「原田はこう言っている」と言って、嘘の事実を認めさせようとしたのです。警察がそのような捜査の仕方をしていたことが後でわかり、私は、警察は実に汚い手を使うものだと、本当に腹立たしく思いました。こうして、警察は逮捕した人たちを長期間拘束し、警察が描いた筋書きに沿う供述を得ていったのです。
  それでも、井尻と地主さんに不利な証言をさせられた人たちが、裁判が始まってから公判で嘘の証言を次々に撤回してくれました。また、井尻と地主さんが犯人だということを証明する物証もありませんでしたので、私は裁判では無罪が証明されると思っていました。ところが第一審で井尻と地主さんが有罪となり、私は本当に腹が立って仕方ありませんでした。

―――その後井尻さんと地主さんは第二審で無罪であることが認められ、それが確定しました。国と検察官・警察官の責任を問う国家賠償請求訴訟の第一審でも井尻さんたちの請求が認められました。この国家賠償請求訴訟の一審判決は、その後高裁・最高裁で覆されてしまいましたが、井尻さんは長い期間裁判をたたかわれて、裁判官に対してどのような感情をお持ちになったのでしょうか。
(井尻さん)
  裁判をたたかってみても、裁判官とじっくりと議論するような機会はほとんどありませんので、裁判官たちが何を考えているのかはよくわかりません。しかし、国賠訴訟の第一審を担当された福島重雄裁判長の判決は検察官・警察官の責任を明確に認めるもので、本当に嬉しかったです。刑事裁判での無罪判決の時よりも嬉しく思いました。
  実は、国賠訴訟の第一審判決日が延期になった時、私は弁護団の方々と一緒に裁判所に抗議に行きました。その時、福島裁判長は自ら私たちを部屋に招き入れ、真摯に私たちの話を聞いてくださいました。私は福島裁判長の人柄は素晴らしいと感じました。

―――芦別事件の裁判では弁護団の方々も献身的に取り組まれたそうですね。
(井尻さん)
  本当に私たちと一緒になって真剣に取り組んでくださいました。杉之原舜一先生は本当に骨身を削って取り組んでくださり、ありがたく思っています。

―――芦別事件のような冤罪事件は決して昔にあった出来事ではなく、いまも続いています。いまの刑事事件の捜査や裁判は約60年前の芦別事件の頃より改善されているのでしょうか。井尻さんはどのように見ておられますか。
(井尻さん)
  事件についての警察の見立てに沿った自白や供述を被疑者などに強要するような警察の捜査は、いまも変わっていないように思われます。
  ただし、いまは冤罪被害者を出すまいと、救援団体の人たちや弁護士が、起訴もさせない取り組みを素早くすすめる体制になってきていて、これはよいことだと思います。

―――弁護士会が取り組んできた当番弁護士制度などが重要だということですよね。
  刑事司法制度の問題としては、裁判員制度の導入も最近の新たな変化です。芦別事件の裁判が市民の裁判員を含めた裁判員裁判で審理されていたら、裁判の展開も変わっていたとはいえないでしょうか。井尻さんは裁判員制度をどのように評価されますか。
(井尻さん)
  裁判員制度全体をどう評価するかは難しいところがありますが、芦別事件にあてはめて考えてみると、事件の証拠とされた発破器や雷管をめぐる検察側の立証の不備は明確で、それを普通の市民の感覚で検討していたら、裁判の展開はだいぶ変わっていたかもしれません。

―――井尻さんはご主人の裁判の後も冤罪被害者の救援活動にたずさわってきました。これまでのご経験をふまえ、刑事事件と裁判に関わって人びとに伝えたいことをお聞かせください。
(井尻さん)
  芦別事件の頃は、警察の取り調べに対して国民には黙秘権があるということをほとんどの人は知りませんでした。私も知りませんでした。しかし、いまでは黙秘権のことを知る人がだいぶ増えました。これはよいことです。警察の過酷な取り調べで嘘の自白をさせられ、それで有罪になったり、死刑になっている人はいまでもいます。私は無実なのに泣き寝入りせざるを得なくなったという人から手紙をもらったことがあります。これは本当に怖いことだと思います。
  井尻は刑事事件の第二審で無実が確定する直前に亡くなりました。無念だったと思います。このようなことが二度と起こらないよう、私も引き続き微力を尽くしていきたいと思っています。

―――本日は貴重なお話しをお聞かせいただき、ありがとうございました。芦別事件と裁判のことを多くの人々に語りついでいきたいと思います。

* 井尻光子さんには『飯場女のうた −芦別事件・怒りの26年』(1984年、学習の友社)という著書があります。また、『芦別事件を知る −事件が語る今日的意義』(2011年、HuRP出版)にはシンポジウムでの井尻さんの発言などが掲載されています。(編集部)