【村井敏邦の刑事事件・裁判考(2)】
奈良事件:付審判請求事件と裁判員裁判
 
2011年6月6日
村井敏邦さん(大阪学院大学法科大学院教授)

奈良事件とは
  2003年(平成15年)9月10日、奈良県大和郡山市で窃盗事件で警察の車に追われていた車の運転手と助手席の同乗者が、追っていた奈良県警の警察官が発砲した弾に当たって、重傷を負い、同乗者が死亡するという事件が起きました。同年11月13日、死亡した同乗者の遺族は、奈良県警警察官Y巡査部長ら4名を、特別公務員暴行凌虐致死の罪で奈良地検検察官に告訴しました。2006(平成18)年1月11日、検察官は、警察官らの行為は正当防衛に当たるとして、Yらを不起訴処分にしたので、不起訴処分を不服とする遺族らから、奈良地裁に付審判の請求が申し立てられました。
  この請求を受けた奈良地裁は、4年の審理を経て、2010(平成22)年4月14日、4人の警察官のうち2人については、請求に理由があるとして、審判に付する決定をしました。奈良地裁の決定は、警察官らの間に共謀はなく、現に被害者らに発砲し、弾丸を命中させた2人だけを公判に付するというもので、運転者に重傷を与えた警察官を特別公務員暴行凌虐致傷、同乗者を死亡させた警察官を同致死の罪に当たるとしていました。
  ところが、その後、警察官役弁護士から起訴事実の変更(訴因変更)が申し立てられて、結局、殺人罪と殺人未遂罪も訴因に加えられました。

付審判請求事件としてはじめての裁判員裁判
  当初の起訴事実でも、特別公務員暴行凌虐致死罪は、裁判員裁判の対象事件です。故意の犯罪の結果、被害者が死亡した事件は、裁判員対象事件だからです。審判に付されることが決定された2人のうち1人については、起訴事実が特別公務員暴行凌虐致死罪ですから、裁判員裁判で審理が行われることになります。もう1人の罪が特別公務員暴行凌虐致傷罪である限りでは、裁判員裁判の対象ではなかったのですが、殺人罪と殺人未遂罪が付け加えられたことによって、死刑または無期懲役が科せられる罪での起訴ということになり、2人とも裁判員裁判で審理されることになりました。
  前回取り上げた佐賀事件は、特別公務員暴行陵虐罪での付審判決定だったので、裁判員対象事件ではなかったのです。宇都宮事件は、特別公務員暴行陵虐致死事件で審判にかかっていますが、審判に付する決定が出たのが2009年4月27日でした。裁判員裁判法が施行されたのがその年の5月21日ですので、施行直前の審判決定だったので、裁判員裁判ではなく、これまでと同様、裁判官による裁判で行われたわけです。

裁判員裁判で審理をすることの意義
  裁判員制度は、2004(平成16)年に「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が成立したことを受けて、上で述べたように、一昨年の2009年5月21日から実施されている制度です。
  国民の司法参加の制度は諸外国では何らかの形で実施されております。日本でも、戦前の一時期(1928[昭和3]年から1943[昭和18]年まで)には陪審員制度として行われていました。その時に行われた陪審裁判の東京の第1号事件は、現住建物放火未遂事件でした。この事件では、12人の陪審員が21才の女性被告に無罪の評決を出しました。この陪審裁判をモデルにして、「帝都の夜明け」というテレビドラマにもなりました。ご覧になった方もあるだろうと思います。この戦前の制度に対しては、警察や検察の中からは無罪比率が高いとの批判が出されましたが、おおむね問題なく行われていました。しかし、戦争の激化の中で制度を維持する余裕がなくなり、終戦2年前に休止されました。この制度のもとになっている陪審法は、廃止されずに休止のままです。戦後の国民の司法参加が議論されたときに、この陪審法を復活するという意見もあったのですが、戦後の憲法との関係ではあまりにも問題が多いので、戦前の制度をそのまま使うことはできません。そこで新しい制度が模索されてきました。
国民の司法参加の形には、大きく分けて、英米型の陪審制とドイツ(大陸)型の参審制とがあります。前者では、陪審員は有罪か無罪かの事実認定のみで、量刑判断は基本的に専門の裁判官に委ねます。これに対し、後者は、一般人が事実認定だけではなく量刑まで係わるものです。戦前の制度は陪審制でしたから、有罪か無罪かの判断だけを出したのですが、陪審員の評決が裁判の結論になるのではなく、裁判官が賛成して初めて最終的な結論になります。前に挙げた東京の陪審裁判第1号でも、陪審員の出した無罪という評決を裁判官が同意したので、無罪という結果になったわけです。
  2009年から実施されている裁判員制度は、一般の人から選ばれた6人の裁判員と3人の裁判官とが有罪・無罪の事実認定から刑を決めるところまで共同で審理をします。その点で、英米の陪審制よりもドイツの参審制に近い制度です。ただし、ドイツの参審制と違って、一般から選ばれた裁判員のほうが裁判官の人数よりも多いことと、裁判員は事件ごとに選ばれることが、ドイツの参審制と違っています。一般の人から選ばれた人の人数が多いという点は、フランスの制度に似ており、事件ごとに選ばれるという点は、陪審制と似ています。
  付審判請求事件を裁判員裁判で審理することはどうなのでしょうか。裁判員裁判は、主権者である国民が裁判官という官僚にのみ司法を任しておかずに、自らも加わって裁判をするという意義があります。付審判請求も、検察官という官僚の不起訴という判断に、一般の人が異議を唱えて裁判所に裁判をしてくれと求める制度であり、また、公務員の人権侵害行為に対して、裁判をしろというものですから、官僚制に対する一般の人からの批判の制度といってよいと思います。こうした点で、付審判請求と裁判員裁判とは共通の要素があります。付審判請求事件を裁判員裁判で審理するのは、私は好ましいことだと思います。

奈良事件と裁判員裁判
  裁判員裁判の場合には、公判の審理が開かれる前に、争いになる点(争点)を明確にし、審理で提出される予定の証拠を整理するために、公判前整理手続きが裁判官と検察官、弁護人の当事者だけで行われます。裁判員は公判前整理手続きが終了してから登場してきます。
  奈良事件は、現在、この公判前整理手続き中です。奈良事件の主な争点は、被害者らを殺害したとして起訴されている警察官に殺意があったか、また、警察官の行為は正当な職務行為だったかという2点です。
  被害者遺族から被告人となっている警察官に対しては、刑事事件とは別に国家賠償訴訟が起こされています。この国家賠償訴訟では、第一審の判断が出ています。その判断では、結論として、警察官の行為は職務行為として正当であったとしていますが、殺意はあったと認定しています。
  さて裁判員たちはどう判断するでしょうか。裁判員の人権感覚が測られる事件と言ってよいでしょう。

<裁判員制度に関わる基本知識>

裁判員が係わるのは、死刑か無期懲役の刑があり得る事件の、地方裁判所での裁判であるが、裁判員の身の危険が予想されるような場合には裁判員を置かないこともある。
裁判員候補者は選挙人名簿からくじで選ばれるので、(現行では)20才以上の国民は誰でも選ばれる可能性がある。職業歴や犯罪歴などによる欠格規定があるが、辞退は仕事や介護などでやむを得ない事情がなければ認められない。因みに、70才以上であることは辞退理由にされている。問題になるのは、例えば死刑反対など、思想良心による辞退が認められるかだが、認められないと過料に処せられることがあり得る。

裁判員は、通常の事件では6名で、裁判官3名とともに計9名の合議体を構成する。そして、裁判に出席し、裁判長に告げれば尋問もできる。有罪無罪や刑の評議では、合議体構成員の判断を有罪または刑の重い順に並べて過半数の人、9名の合議体であれば5人目の判断で決まる。ただし、そこに裁判官の少なくとも1人が入るところまでその刑などは軽い方にシフトされる。

一般人の常識的な判断を大事にしようということだが、刑事裁判では、検察官の主張事実が釈然としないとの疑問がどうしても解消されない限り無罪の判断をする以外にない。1人の陪審員の疑問から、最初の投票では有罪の判断をしていた残り11人の陪審員全員を無罪の評決に導くドラマ「十二人の怒れる男」は感動的である。
裁判員制度では有罪無罪の事実判断のほか、量刑までやるので、マスコミや、今後被害者の出廷なども認められるようになると被害者の発言などによって、判断に影響が出る心配がある。裁判員には守秘義務もある。
裁判員制度が健全に機能するためには、刑事裁判の基本原則、「疑わしきは被告人の利益に」の原則、予断排除の原則、証拠裁判の原則などがきちんと説明されることが重要である。

 
【村井敏邦さんプロフィール】

一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。