裁判員裁判の共犯事件から見る「有罪推定」(1)  
2011年4月4日
大河原眞美さん(高崎経済大学教授)

 2010年11月に前橋地裁で共犯事件の裁判員裁判があった。この事件の発端は、2009年7月に群馬県のため池で水没していた軽ワゴン車から両手を電気コードで縛られた男性の遺体が発見され、男性の知人の5人が逮捕されたことからだった。実行犯の3人は、傷害致死と死体遺棄の罪に問われ、2010年5月から6月に行われた裁判員裁判で、それぞれ懲役10年、懲役8年、懲役9年の刑が確定し、現在服役中である。残りの2人のうち1人は起訴猶予となった。もう1人は、共犯者として起訴され、本人は無罪を主張していたが、冒頭の2010年11月の地裁判決で懲役9年(求刑12年)となる。控訴はしたが2011年3月に控訴棄却となり、上告している。

 この共犯者とされた被告人の裁判を傍聴していて、市民感覚から奇妙に思ったことがある。3人の実行犯の1人について懲役10年の判決を出した裁判官3名が無罪を主張している本事件の裁判を担当している。当然のことながら、裁判員は、前回の事件と今回の事件とでは、全く異なった市民が選任されている。一方、検察官については、実行犯3人それぞれの裁判と本事件の裁判についてすべて同じ3名が公判担当している。しかしながら、弁護人は、これら4事件において全て異なった弁護人が選任されている。

 単純に考えて、共犯事件の審理は、裁判官にとっては2回目のおさらい。検察官に至っては、4回目の事件となり、復習を重ね暗誦の世界である。ところが、裁判員と弁護人にとっては、1回目の新事件である。特に、法廷に臨むのが初めての裁判員にとっては、被告人が否認しているため、公判だけでも7日間と長期に亘り、疲労と混乱に陥っている。

 大学1年生381人に、この共犯者とされた被告人の裁判が、裁判官が2回目、裁判員が1回目、検察官が4回目、弁護人が1回目の担当であることが無罪推定の原則に沿っているかについてアンケート調査を、2011年1月19日に行った。下記がその結果を集計したグラフである。20%超える学生が「どちらともいえない」と回答しているが、裁判官と検察官のグラフは類似しており、また、裁判員と弁護人のグラフも類似している。裁判官の2回目と検察官の4回目担当が無罪推定の原則に沿っていることについて、「大変そうである」「そうである」と回答した学生は、裁判官については46.5%、検察官は41.5%であり、「大変ちがう」「ちがう」と回答した学生は、裁判官について30.7%、検察官は34.9%である。裁判員と弁護人が1回目であることについて、無罪推定の原則において「大変そうである」「そうである」と回答した学生が裁判員には62.7%、弁護人には63.5%で、「ちがう」「大変ちがう」と回答したものは、裁判員には16.5%、弁護人には12.6%である。裁判官は1回目の裁判で有罪判決を出していることや、検察官が3回の裁判の時の被告人3名と本事件の公判の前に面会しているという情報を与えていず、単純な担当回数のみのアンケート調査であったが、大学1年生は、一事件ごとに裁判官や裁判員や検察官や弁護人の担当を変えることが無罪推定の原則に沿うと判断する傾向があることがわかる。

<アンケートでの学生に対する問いの例>
「本事件の被告人の裁判官3名は、実行犯一人の裁判と同じ裁判官3名である。無罪推定の原則に沿っている」
「被告人4人のそれぞれの裁判の裁判員6名は、異なる裁判員である。無罪推定の原則に沿っている」

 裁判官は憲法と法律のみによって拘束されるので(憲法76条3項)、他の裁判の結果に拘束されない、また、裁判官は公判が開始されるまではその裁判について予断を持つべきでないとされている予断排除の原則があるため、審理を担当した裁判官が他の共犯者の裁判をするとしても不公平な裁判をするおそれがない、と法曹界で理解されているようである。しかしながら、実行犯の1人の判決の中で本事件の被告人の共謀を認定している文を書いた裁判官が、本事件の被告人の判決を書くにあたって、自分が書いた前の判決の拘束を受けないというのは、市民に対しては説得性に欠ける。そもそも、共犯事件の一つを担当したということが、二つ目の審理において予断を生ぜしめるおそれにならないという解釈も、多くの市民は理解できない。

(続く)

 
【大河原 眞美(おおかわら まみ)さんのプロフィール】

高崎経済大学大学院地域政策研究科長・教授(法言語学)。日本弁護士連合会法廷用語日常化検討プロジェクト委員、家事調停委員、法と言語学会会長、群馬県労働委員会公益委員、群馬県事業・事務仕分け検討会外部委員など。著書に、「みんなが知らない”裁判ギョーカイ”ウラ話」清流出版(2010年)、「裁判おもしろことば学」大修館(2009年)、「市民から見た裁判員裁判」明石書店(2008年)、「裁判からみたアメリカ社会」明石書店(1998年)などがある。