裁判の独立、裁判官の職権の独立を守る  
2010年11月22日
石松竹雄さん
(弁護士・元裁判官)
*当サイトでご紹介してきた、元裁判官の方々による連続講演会「日本国憲法と裁判官」の講演録集が『日本国憲法と裁判官 −戦後司法の証言とよりよき司法への提言』(守屋克彦編、日本評論社)から出版されました。
以下は、この本の出版記念講演会(2010年11月3日)での石松竹雄さん(弁護士・元裁判官、この本の執筆者の一人)の挨拶です。

 『日本国憲法と裁判官』では、民事事件、刑事事件、少年事件、家事事件などいろいろな裁判の分野にたずさわった元裁判官の方々が、それぞれの経験にもとづいて書かれています。司法行政にたずさわった方々、つまり裁判所の長官や所長などの立場から書かれたものはほとんどなく、執筆者の大部分は、青年法律家協会(注1)(以下、青法協)の会員、全国裁判官懇話会(注2)にたずさわった方々であります。全体を通して一貫しているテーマは、裁判の独立(注3)、裁判官の職権の独立をいかに守るか、ということです。
裁判の独立、裁判官の職権の独立は簡単なことと思われるかもしれませんが、そこには大変難しい問題がはらまれています。裁判の独立、裁判官の職権の独立に固執しすぎると独りよがりの裁判になってしまいます。逆に、ぼやっとしていると時流に流された裁判になってしまいます。この両方のあいだに立って、しっかりとした裁判をしていくことは大変難しいことです。その難しさは、この本を書かれた元裁判官の方々はみな体験していることです。この本には、その苦労の跡が滲み出ています。この本を読まれる方々は、願わくば、裁判の独立、裁判官の職権の独立を守っていくことはいかに難しいことなのか、元裁判官たちがそれを乗り越えるためにいかに努力をしてきたかということを、察していただきたいと思います。

※画像をクリックすると本のご案内をご覧いただけます。

  裁判の独立、裁判官の職権の独立を守っていく、その一つの方法として、青法協運動があり、全国裁判官懇話会運動があったと思います。私自身は青法協の会員ではありませんでしたが、「全貌」という雑誌には青法協の会員だと書かれました。私は青法協の会員になってもよいと思っていたのですが、たまたまその創立時期に肺を患っていて、会員になりはぐれたのです。しかし、全国裁判官懇話会の方はかなり関わりました。青法協や全国裁判官懇話会のような場で、裁判官同士が腹蔵なく議論をたたかわせ、考えていくことは、官僚裁判官制度の下で、裁判の独立、裁判官の職権の独立を守っていく上で欠かせないことだった、と私は考えてきました。人間というのは弱いものです。いろいろな場面で動揺するものです。それ故に、前に述べたように、独りよがりにならず、時流に流されず、正しく裁判の独立、裁判官の職権の独立を守っていくことは、大変困難なことで、時に間違いをおかすこともあるかもしれません。裁判官がこのような困難を克服し、正しい姿勢を保っていく上で、青法協運動や全国裁判官懇話会の運動というのはほんとうに貴重な場であったと、いま思っています。
この本の執筆者で一番若い方は司法研修所の第25期ですから、その方々はもう定年間近です。つまり、現在の現職裁判官はほとんど、それより若い方々です。その方々がどのような考えを持って、どのように行動しているのか、いま弁護士をしている私にはあまり見えてきません。今般の司法制度改革によって、刑事裁判における保釈率や無罪率が若干上がったといわれることがありますが、それらについて裁判官の姿勢がどのように関わっているのか、私にはまだよくわかりません。それは、四捨五入すると90才になる私としては心残りのことです。若い方々には、願わくばこの本を読まれ、司法制度改革の在り方についてよくお考えいただきたいと思います。

<編集部注1・青年法律家協会>
1954年に、日本国憲法をいかす法実務・法学研究に従事したいと願う若い法律家たちが結成した団体。1970年前後に裁判官の青年法律家協会への所属を問題視する動きがおこったが、多くの裁判官がその攻撃の中でも信念を貫き、裁判官として職責を果たした。
<編集部注2・全国裁判官懇話会>
1971年、宮本康昭判事補の再任が拒否されるという「司法の危機」の到来の中で、現職の裁判官たちが、2006年までの間、毎年開催した自主的会合。裁判官のあり方を研究・討議した。
<編集部注3・裁判の独立>
日本国憲法には「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」(76条3項)と謳われている。しかし、長沼ナイキ訴訟で裁判長に対する裁判干渉(平賀書簡事件)がおこなわれるようなこともあった。

 
【石松竹雄(いしまつたけお)さんのプロフィール】
元裁判官。大阪高等裁判所総括を経て、現在弁護士。