再審への思い(1)  
2010年10月25日
杉山卓男さん(布川事件再審の請求人)
 

―――1967年、茨城県利根町布川で強盗殺人事件が発生し、桜井昌司さんと杉山さんがその犯人だとして逮捕されました。桜井さんと杉山さんは裁判で無期懲役が確定しましたが、無実を訴え続け、2005年に再審開始決定が出され、今年再審裁判が実現しました。判決は来年とのことです。
杉山さんはこれまで多くの検察官、裁判官、弁護士に接することになりました。これまでの裁判を振り返りながら、お話しを聞かせていただきたいと思います。
まずは検察官についてお願いします。大阪地検特捜部の検事が証拠を改ざんしたとして逮捕され、検察官への国民の信頼が失墜する事態になっていますが、杉山さんの検察官への思いからお聞かせください。
(杉山さん)
私は布川事件の犯人ではなく、被害者の家に行ったこともないのに逮捕されました。私は警察で犯行を否認したのですが、何を言っても聞いてもらえませんでした。私は、裁判官ならばわかってくれるだろうと思い、警察の誘導にのってしまい、「昌司(桜井)が俺とやったと言っているならそれでいいです」という「嘘の自白」をしてしまいました。
私の捜査を担当した最初の検察官は話をよく聞いてくれ、否認調書もつくってくれました。ところが、その検察官は私の担当ではなくなってしまい、私は別の検察官によって起訴されてしまいました。おそらく、真実に目をむける検察官を当時の検察庁が排斥したのだと思います。そのようなことは、おそらく現在の検察庁でも同じなのではないかと思います。
検察の主張で私と桜井は無期懲役となり、服役し、私たちの無実の主張を否定し続け、ようやくはじまった再審裁判でも有罪だと主張しています。私の検察に対する怒りはおさまりません。
布川事件での検察の一番の問題は、検察が私と桜井に有利な証拠をずっと隠してきたことです。被害者がどのように殺されたのかが示されている死体検案書、真の犯人の存在をうかがわせる毛髪鑑定書、等々がようやく開示され、その結果再審への道が開かれたのですが、そもそもこれらが当初の裁判で開示されていれば、私たちは無罪になっていたはずです。事件の日に私は犯行現場の近くで目撃されていたと検察は主張していましたが、先日の再審公判では、そこにいた人間は私ではないとの証言がありました。その証言はもともと調書にあったのですが、検察はその調書も隠してきたのです。私は検察の対応は私たちを犯人にでっち上げる犯罪行為だと思います。
検察は私と桜井に有利な証拠は隠すだけでなく、改ざんもしていました。桜井に対する取調べを録音していたテープを編集された跡が残っていたのです。まさか検察が証拠を改ざんするようなことはないだろう、というのが市民の一般的な見方かもしれませんが、先日大阪地検特捜部の検事が逮捕されたことを契機に、こんご検察の捜査の現状が明るみになっていくことを期待しています。

―――杉山さんたちの弁護団は、検察に対して、証拠を隠していたことについての謝罪を要求しているそうですね。
(杉山さん)
そうです。しかし、私自身は謝罪を求めるつもりはありません。謝罪されたとしても私は決して許さないだろうと思っているからです。
ただ、私は、検察は桜井の両親には謝って欲しいです。私は早くに親を亡くしましたが、桜井の両親は世間から「人殺しの親」だといって罵られながら亡くなっていったのです。

次号に続く

 
【杉山卓男さん】
1967年に茨城県利根町布川で強盗殺人事件=布川事件の被疑者として桜井昌司さんとともに逮捕される。無実を主張するも、裁判で無期懲役が確定。1996年に仮釈放。2005年、再審開始が決定され、現在2010年にはじまった再審裁判をたたかっている。
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