司法制度改革10年の到達点と課題(1)  
2010年6月14日
飯 考行さん
(弘前大学准教授)

1.司法制度改革のあらまし

私たちのこの10年間の暮らしを振り返って、法や裁判との関わりで何か変わったことはあるでしょうか。さほど目につく変化はないという人が多いかもしれません。しかし、借金などの困りごとを相談できる弁護士や司法書士が身近に増えた、裁判や司法に関する報道に気を留めるようになった、積極的な判決がやや増えたなど、小さな変化に気づく人もいることでしょう。これらには、時を同じくして行われた司法制度改革が影響しています。
司法制度改革は、1990年代のグローバル化と規制緩和の流れのなかで、政財界と弁護士会などの司法関係者によって提唱され、2000年代から政府主導で推進されてきました。「より市民に身近で利用しやすく信頼できる司法の実現」をモットーに、司法を支える人および裁判制度の増強、市民の司法へのアクセスの拡充、市民の司法参加の推進がはかられました。その結果、主な新制度として、2004年に法科大学院、2006年に日本司法支援センター(法テラス)、2009年に裁判員制度が、それぞれスタートし、司法試験合格者を増やして法科大学院で質量ともに豊かな実務法律家を養成し、法テラスで法の困りごとに関する情報案内や支援を行い、裁判員制度で市民が罪の重い刑事裁判に裁判官と一緒に参加することになりました。以下で、これら三大改革の運用状況を概観していきます。
その他にも、弁護士の広告解禁と情報提供の推進、弁護士懲戒・裁判官選任手続への市民参加の促進、認定司法書士による簡易裁判所訴訟代理や法律相談、個別労働紛争を労使出身の市民と裁判官で調停を試みながら迅速な解決をはかる労働審判制度、知的財産高等裁判所、裁判迅速化、裁判外紛争処理制度、犯罪被害者の意見陳述と裁判への参加、被疑者(容疑者)の国選弁護制度、不起訴の当否を吟味する検察審査会の二度の起訴議決による強制起訴などが実現しました。一連の改革の特徴は、利用者の視点から迅速適正な紛争解決をはかり、司法の透明性を高め、市民のアクセスと参加を保障することにあります。

2.裁判員制度

 司法制度改革のなかで、最も国民的な関心を集めているのは、ご承知の通り、裁判員制度です。訴訟手続への市民参加は、諸外国で広く採用されていますが、日本では、戦前の陪審制度の停止から66年ぶりにようやく再導入されることになりました。20歳以上の有権者からくじで選ばれて、国民の義務として、罪の重い犯罪の刑事裁判に裁判官と一緒に参加して、有罪か無罪かと有罪の場合の刑の重さの判断を求められるため、誰しも気になるところです。制度の実施から1年間で、裁判員の参加する刑事裁判は508件実施され、3,070人の国民が裁判員を務めました。今後は、毎年2,000件程度行われる見通しです。
世論調査によれば、積極的に裁判員になりたい市民の割合は、2、3割にとどまります。裁判員の職務をためらう理由の多くは、自分たちの判断で被告人の運命が決まるため責任を重く感じる、冷静に判断できる自信がないといった心理的負担で、裁判に参加することによる仕事、養育や介護への支障などの物理的負担が続きます。市民生活から縁遠い犯罪に関わるのですから、こうした市民の懸念は無理もありません。裁判員経験者に対するアンケートでも、裁判に参加して心理的な負担やストレスを感じたと回答する人は67%に上り、うち15%の人は裁判後も心理的な負担を感じています(NHK調査による)。
裁判員の負担の大きさは否めませんが、それは、刑事裁判そのものが、過去に起こった不幸な事件を追体験し、被害者の傷に触れ、有罪の場合の被告人の罪の重さに触れて刑を決めるという痛みを伴うためでしょう。その一方で、裁判員を務めたほとんどの市民は、裁判員を体験して良かったと回答しています(最高裁判所調査で96.7%)。そして、判決後もよく思い返すことに、被告人の更生と、被害者・遺族の思いが挙げられています(読売新聞調査でそれぞれ60%、30%)。
以上のデータからは、裁判員を務める市民が、人生でおそらく1回限りの裁判という重大な仕事に熱心に取り組み、痛みを覚えながらも、被告人の更生と被害者の傷の回復に心を砕いている様子が伺われます。こうした裁判員の姿勢は、自白事件が9割以上、有罪率が99%以上を占めるなか、もっぱら自白調書にもとづいて有罪を認定し、検察官求刑の八掛けで量刑を決めるように映る、「有罪慣れ」した(安原浩の命名)裁判官のそれと対照をなしています。被告人が、裁判員から親身に話を聞いてもらい、叱咤激励されたことに感謝して、更生を誓うケースもあるほどです。裁判員は、有罪を宣告した被告人の刑務所での暮らしや更生を含めた、犯罪被害全体の修復に配慮する点で、違法・適法性や権利関係の確定に役割を限る司法の枠組みに再考を促しているとも見られます。
刑事裁判は、被告人の将来を左右する重大事であるとともに、市民が参加して慎重な判断に心がけることで、法廷で述べられたことに直接もとづいて判断する口頭主義と直接主義が実質化され、冤罪の減少と適正な処罰につながれば、社会にとっても有益です。裁判員を経験した市民は、裁判の仕組みや手続きの進め方、普段の裁判員に関する報道や、犯罪を増やさないための社会の取組みなどに、関心を高めています(朝日新聞調査)。一般市民も、4割以上が、裁判員制度が開始されてから、裁判や司法に対する興味や関心が以前に比べて増したと回答しており(最高裁判所調査で43.4%)、裁判員制度が司法のみならず社会全体にもたらすインパクトの大きさを見てとれます。制度施行後1年間は、深刻な否認事件は公判前整理手続が長引いて裁判にいたらず、有罪判決ばかりでした。その後、被告人の法廷での言動に照らして自白調書の信用性を否定した判決や、初の一部無罪判決が現れています(2010年5月28日水戸地裁、同年6月9日東京地裁立川支部)。死刑判断が問われる事件や、冤罪の恐れを含めて、裁判員裁判の真価が問われるのはこれからです。

続く
 
【飯考行(いい たかゆき)さんのプロフィール】
1972年生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程修了。日本弁護士連合会司法改革調査室研究員、早稲田大学教育学部助手を経て、現在、弘前大学人文学部准教授。
専攻は法社会学、司法制度論。