「全国第1号」の裁判員裁判が行われた!  
2009年8月31日
高田昭正さん (大阪市立大学教授)
裁判員裁判がついに現実になった。8月3日から6日まで、東京地裁で公判が開かれた「全国第1号」の事件は、無職72歳の男性が隣人の女性をサバイバルナイフで刺殺したというもの。テレビや新聞で大きく報道された。8月5日の公判で、女性裁判員が初めて法廷で発言した言葉も大きく報道された。
「えーと、あの、(被害女性の)人物像の説明で、調書の違いに引っかかるので、確認の仕方をどのように……」
裁判員裁判がここまで大きく報道されるとは思わなかった。しばらくはこのような報道の過熱ぶりが続くのだろう。
第1号事件で、東京地裁は、懲役15年の有罪判決を言い渡した。報道によれば、こうである。
「判決理由の半分近くは、F被告(72)が被害者に悪意を抱いた発端から、殺害後に至るまでの経緯が記されていた。
各地で600回以上行われた模擬裁判の判決文は、争点ごとの結論や量刑を決めた経過だけを簡単に記述したものが多かったが、今回の判決文は、殺意の程度に関連する事実に詳しく言及していて、評議で議論が集中した点については丹念に書こうという裁判官の考え方が表れた。」
たしかに、第1号事件の冒頭陳述で、検察官は、本件の争点は「犯行時の言動」から推認される殺意の程度だけだ、凶器の形状,傷の状態,犯行態様、動機には争いがない、と述べていた。だから、〈判決文が、殺意の程度に関連する事実に詳しく言及した〉ことは頷けるものがある。
しかし、弁護人は自身の冒頭陳述で、被告人が前夜から大量に飲酒していて、当日朝も迎え酒をしていたこと、被害者と被告人が原付バイクの駐車方法などで従前からトラブルがあったこと、被害者の無配慮な言動が事件の背景にあることなどを述べていた。
被告人も、被告人質問のさいに、被害者からあごと左肩を押されて、「先制攻撃」があったと述べていた。
弁護人や被告人は、責任能力や犯行の動機、態様に関わる事実も争点にしていたのである。この検察官と被告人側の「争点整理」のくい違いがなぜ起きたのか、その原因は外部からはうかがい知れない。
しかし、検察官の「争点の単純化」について、その不当さを弁護人が法廷ですぐに問題にした様子はない。むしろ、公判冒頭からの検察官の「争点の単純化」が奏功して、判決や評議の内容も決めてしまったように思える。
検察官は、有罪判決の獲得を確実にするために、なにより、争点を「単純化」しようとするだろう。
それゆえ、争点を単純化させないことは、弁護人こそがなすべき仕事、弁護人こそが取り組むべき課題である。
裁判員を経験した人たちは、裁判員裁判に関わったことについて、「ひとの人生を決めることは興味本位ではできない。市民には重い制度だ」、「ひとの人生のある部分にかかわった。重大な責任をおなかの中にとどめて生きるつもりです」と述べて、自らの経験の「重さ」「苦しさ」を語っている(さいたま地裁の第2号事件)。
しかし、真摯な裁判員は、けっして「争点の単純化」を求めていない。
つぎのような報道がある(第1号事件)。
「審理を通じて、刑事裁判に対する見方が変わったという。『今までは犯人が憎い、厳罰も、と考えたが、必死に生きている中での不幸な結果が事件になることもある』。裁判員を経験したことで『罪を憎んで人を憎まず、という部分が自分の気持ちの中にあった』と気づいたという。
審理では被告の不幸な生い立ちや過去に犯した罪なども明らかにされた。『酒を飲んで問題を起こしてしまう孤独な老人を、共同体の中でどう受け止めるのか』という社会問題としても考えをめぐらせたという。
男性は、被害者にも落ち度があるかのように繰り返し訴える被告側の主張に『反省しているのか』と感じた。被告人質問では、女性を刺した後に救急車を呼ばなかったことについて被告に直接、『世間一般の考えと違う』とただした。その他に『自分の人生をどういう風に振り返っているのか聞いてみたかった』という。」
事件の背景、被告人が築いてきた社会的関係、他人や自分自身がもつ人間の尊厳というものに対する考え方など、裁判員が事件を捉えようとする視座は広い。
真摯に自らの責務を果たそうとする裁判員は、むしろ、争点の単純化を避けようとしているのである。
しかし、第1号事件で弁護人の最終弁論は、その大半が、被害者の重大な落ち度と関わって被告人の犯行の動機が形成されたこと、被害者の侮蔑的で挑発的な言動に誘発された衝動的な犯行であって殺意は弱いことに言及するものだった。その他の情状事実には言及することはほとんどなかったという。
弁護人自身も、「争点の単純化」ということに囚われていたのではないかと思う。
たしかに、裁判員に対して、何を争点とするのか、明確に分からせるような弁護戦略というものを、弁護人にはもってほしいと思う。ただし、弁護側主張の分かりやすさと、「争点の単純化」とは違うと思うのである。
裁判員は、多くの情報を求めている。裁判員にとって、「裁く立場に立つこと」「裁判権を現実に行使すること」は、一生に一度の機会であろう。裁判員はその立場を真摯に捉え、事件を単純に捉えることをしない。
事件を単純化しようとする検察側に抗して、弁護人こそが、犯行に至る経緯、犯行の動機、犯行後の状況のほか、被告人の性格や生活状況、人間や社会に対する考え方などについても、きめ細かな主張と立証を行わなければならない。
そのような弁護人側のきめ細かな主張と立証を法廷で十分に展開できるように、公判前の争点整理も徹底して行われなければならないと思う。
「これだけ考えたのは人生の中でなかった。家に帰っても考え続けていた」というように(第2号事件)、裁判員は、真摯な姿勢で刑事裁判に関与している。この真摯さに本当に応えるような裁判官の訴訟指揮と評議、検察官の訴訟追行、なにより弁護人の弁護活動が行われることを心から期待したい。
 
【高田昭正さんプロフィール】
大阪市立大学法科大学院教授(刑事訴訟法)。
著書に『刑事訴訟の構造と救済』(1994年、成文堂)、『現代刑事訴訟法(共著)』(1998年、三省堂)、『被疑者の自己決定と弁護』(2003年、現代人文社)、『法科大学院ケースブック・刑事訴訟法〔第2版〕(共著)』(2007年、日本評論社)がある。