対談「裁判員制度の意義を考える」
その一「司法に国民が参加するということ」
 
2009年8月3日
大出良知(「司法改革・市民フォーラム」代表・東京経済大学教授)
伊藤真(法学館憲法研究所所長・伊藤塾塾長)
大出
  この5月に裁判員制度が施行となりました。裁判員制度については賛否様々な意見がありますが、私は制度施行になったことの最大のメリットは裁判に対する関心がかつてなく高まったことだと思っています。それはこれまでには想像できない事態になっています。ただ、裁判員制度の趣旨と内容の正確なところは、まだまだ人々に伝わっていません。そこで、このWEBサイトを立ち上げ、適切な情報発信をしていきたいということです。
伊藤  私は日本国憲法の考え方と理念を広げる活動をしていますが、裁判の場で憲法の理念を実現していくことも重要な課題です。このサイトでも大いに発信していきたいと思います。
  さて、私は、司法への国民の参加はきわめて重要だと思っています。ただ、その際司法における国民の役割が十分に伝わっていないという問題があります。裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下、「裁判員法」という)の第1条に制度の目的が書かれていますが、そこには「国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ・・・」と書かれています。裁判員制度の目的は「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上」となっているのです。これまでの刑事司法の問題点に着目して、その改革をはかるために司法が国民に参加するのではないんです。そうではなく、こんにちの司法はきちんと機能していて、そのことをもっと国民に理解してもらうために参加してもらうということです。だとすると、国民からすると、プロの裁判官の裁判がきちんと機能しているのであれば、それなら引き続きプロの裁判官たちで裁判をやればよい、ということになってしまいます。これではせっかくの司法への国民参加の意義が伝わりません。
大出  それは同感です。問題は、なぜ法律の規定がそうなってしまったのかを見極め、その上で今後どうするかだと思います。
伊藤  結局司法制度改革審議会では妥協の産物として裁判員制度が決まったということでしょう。従来の刑事裁判手続きが良かったのか悪かったのかという判断を避けて裁判員制度導入が決まりました。
いま、裁判所の現状に肯定的な人たちの中にも、そして否定的な人たちの中にも、それぞれに裁判員制度に対する賛成論と反対論があり、意見は大きく4通りに分かれているのではないでしょうか。国民からすると、何がなんだかわからない、という状況だと思います。
私としては従来の刑事裁判制度を改め、国民本位の司法制度をつくっていく、裁判員制度をその風穴を開けるものとして制度設計するべきだったと思います。
大出  司法制度改革審議会では、たしかに裁判所の現状に対する評価の点での対立がありました。つまり、日本の刑事司法と裁判は基本的にうまくいっているという考え方が一方にあり、一方には日本の刑事司法は人質司法であり、調書裁判であり、大変問題が多いという考え方がありました。そのような中で、裁判所が認めないような主張は合意にはなりえず、したがって中途半端に終わってしまった面があります。
したがって、そうだからこそ、裁判員制度が始まっているいま、司法への国民参加の意義を正しく伝える努力が必要です。
伊藤さんには釈迦に説法ですが、やはり司法への国民参加の意義は憲法の国民主権原理を基本に語られるべきです。これまで国民の中の「お上意識」は根強いものがありました。とりわけ司法においては裁判官に任しておこうという意識が強くありました。しかし、裁判所といえども国家権力機関であり、それを正当化するのは国民主権原理です。司法権の行使も最終的には国民の責任であり、それに国民が参加することは当然ともいえます。司法の場でも国民自らが汗を流すことが、実は国民のためになるんだということを積極的に、かつ説得的に伝える努力が必要です。
伊藤  権力も誤ることがあり、常にチェックされなければなりません。いよいよ総選挙となり、政権交代になるかもしれません。これまでの政治は官僚任せだったという主張が広がっていますが、官僚任せがいけないのは立法・行政だけでなく、司法にもあてはまります。
とりわけ刑事裁判への国民参加は重要です。刑事裁判というのは検察官の主張に合理的な疑いがないかどうかをチェックする場です。市民の常識でそれをチェックすることが大事です。裁判というのは人の命を奪うこともできます。その意味では最強の権力でもあり、常に監視されなければなりません。
大出  そうですよね。裁判官というのは死刑を命じることができる。日本は憲法で戦争を放棄しているから、首相であっても戦争で人を殺す命令を出せません。その意味では、日本裁判官は首相以上の権限を持っている。
伊藤  裁判官が死刑判決を出す権限を持っているわけですが、その権限も国民に由来しています。
大出  ドイツでは裁判官の判決は「国民の名において」出されます。日本でもそうするべきですね。また、そうした方が裁判への国民の責任がはっきりしますね。
裁判員制度導入を決めた司法制度改革審議会意見書は「国民の統治客体意識から統治主体意識への転換」の必要性を謳いました。その方向は間違っていないのですが、具体的な制度設計の段階で妥協を余儀なくされたところがありました。裁判への関心が高まっているいま、あらためて制度改革の意義を広げていく必要があります。